鳥を夢みた男の話 - 切り絵Blog 影織文庫

鳥を夢みた男の話

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「狭い、空だなぁ」
芝生に寝転がったままぐるりと首をめぐらして、羊皮紙工のアスールは小さくため息をつく。
左を見る。右を見る。
どこを見ても、高い壁が必ずちらりと視界に入るからだ。
アスールは、指で四角形を作って空をのぞき込んだ。と、不意に視界が真っ暗になる。
「わ」
飛び起きると、赤髪のおさげの少女がにやにや笑いながらアスールの指の窓をふさいでいた。
「もう休憩終わるわよ」
「あぁ、ミロ…ありがと」
「そんなにゴロゴロしてばっかりで、試験は大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
ミロは、アスールの奉公する国随一の羊皮紙工房の親方の娘である。アスールは、そこから親方として独立するための試験を間近に控えていた。
アスールが起き上がってのびをしていると、さっさと前を歩き出していたミロは、ポケットから一冊の手帳を取り出した。
「よーし、『丘の上で昼休憩中のアスールを叩き起こす』…完了、っと」
アスールも同じノートを取り出して開く。ふわり、と文字が浮き上がってきた。

13:00 夢屋で「一番高価で、一番珍しくて、一番素敵な夢」を購入し、モモに渡すこと

「あ、僕はこれから夢屋で買い物だな」
「面倒くさいね」
「まぁね。じゃ、また。呼びに来てくれてありがとう」
「うん、先工房戻ってるからねー」

アスール達の住むヤルヴェッキ国は、十メートルほどの高い壁にぐるりと囲まれた小さな国だ。壁は国防と、周辺国への職人の流出防止を目的として二十年前に設置されたのだ。
 ヤルヴェッキ国民は、生まれた時に国民手帳が発行される。そこには日々の生活から選ぶべき職業まで、すべてが記されていて、その通りに生きることになっている。日々手帳に配信されるその日の決められたことを、決められた時間に、決められただけこなしていくというのが彼らの日常だった。
アスールは町のはずれの「夢屋」という看板の掲げられた店のドアをノックした。
人や物に宿った記憶を、するすると糸のようにほどいて編み直したものを夢と呼ぶ。夢屋には、動植物の夢から貴族、役者の夢まで、さまざまな瓶詰の「夢」が並べられている。自らの生き得ない人生を楽しむため、人は夢を買うのだ。
「いらっしゃいませ」
中では、初老の男が壁いっぱいに広がる棚に瓶を並べているところだった。
「こんにちは、マスター」
ここの主人は、記憶から夢を生成して販売したり、店にやってくる者に合わせたぴったりの夢をおすすめしたりしているのだ。
「えぇっと…」
アスールは手帳を広げて読み上げる。
「えと…『この店で、一番高価で、一番珍しくて、一番素敵な夢』をください」
「モモさんのお使いで来たのですかね」
「あ、はい、そうです」
「ふむ…」
マスターはしばらくじっと考えていたが、やがて店の奥から青い小瓶を持ってきてカウンターに置いた。
「六千フォランドです」
「これ、何の夢ですか」
「外の世界に住む風変わりな動物達の夢ですね。昨日ちょうど生成したばかりなんですよ。一番高価で、一番珍しい夢です…モモさんが喜ぶかは保証できませんが」
「たしかに、あの人ならがっかりするかも。でも、すごく面白そうな夢」
アスールは金貨を置くと、小瓶を持って夢屋を出た。

工房に戻ったアスールが自席につくと、ハイヒールをかつんかつんと鳴らしながら階段を下りてくる音が近づいてきた。
「例のもの、ちゃんと買ってきたでしょうね」
「はい、マダムモモ、こちらです」
モモはぱっとそれを取り上げると、アスールに銀貨を一枚押しやって、そっとその瓶をのぞき込んだ。
「何の夢だって?」
「外の世界にいる珍しい動物の夢、だそうです」
モモはふんと鼻を鳴らし、アスールに瓶を突き返すと、ポケットから取り出した金貨をぐいと押し付けた。
「動物なんて、興味ない。これは捨てといてちょうだい。後で…そうね、甘いラブロマンスものの、ロマンティックな夢をもう一回買いに行ってちょうだい。六時までにね」
「承知しました」
モモが不機嫌そうに工房を出ていくと、わらわらと徒弟達が集まってきた。
「なぁなぁ、これ捨てていいってことは、俺たちで見てもいいってことだよな?」
「アスール、これいくらだった?すっげー高かったんだろ?」
「六千フォランドだよ」
「六千!俺がいつも買ってるやつ、百回見られるじゃねーか…」
「おまえが見てるのはどうせエロいやつだろ?」
「ばっ!ち、ちげーよ!」
「ほら、ちょっと見てみようぜ!な?早く早く!」
「うわ、押さないでよ」
どんどん、と木づちを叩く音が響き、親方が低い声で言った。
「今は仕事だ。昼休み、ここで皆で見るというのがいいだろう」
親方の言葉に頷き合い、めいめいが仕事に戻った。

昼休み、アスールのもとにはわっと人だかりが出来た。
「早く見ようぜ!」
「まぁ待てよ、焦るなって」
「六千フォランドの夢って、いったいどんなだろうね」
アスールがそっとびんを開くと、エキゾチックな香りがふわり、とあたりを包み、草原を俯瞰するイメージが一面に広がった。どうやらこの生き物は、樹の上にいるらしい。
眼下の茂みから、胴体と耳が長い小動物が二匹ぴょこん、と顔を出す。耳をぱたんこぱたんこと動かし、何かコミュニケーションしているようだ。
そこにトカゲのような生き物が、大きな翼を広げて急降下してきた。かっと開いた大きな口には、鋭いキバがぎっしり並んでいる。小動物は甲高い声を上げると、さっと茂みにもぐりこんだ。獲物を逃した空飛ぶトカゲは、悔しそうにかちかちと歯噛みして高く飛び去って行った。
と、不意に視点が空に移る。空に飛び立ったようだ。水辺に降り立つと、そこには虹色のとさかに漆黒の羽を持つ、美しい鳥が二羽立っていた。求愛しているのだろうか、片方の一羽が優雅に首を垂れている。一拍の間をおいて、視線がぐっと低くなった。その水にも同じく美しい虹色のとさかの鳥が映っていた―――

不意にいつもの作業場の世界が、目の前に広がった。先輩徒弟のルオーが、夢の瓶の蓋を閉めたのだった。現実に引き戻されてなお、アスールは茫然と立ち尽くしていた。それまで目の前に広がっていた、あまりに美しく雄大な景色に、見たことのない鮮やかな動物たちがいきいきと動き回る姿に、心を強く打たれていた。
―――あぁ、この瓶には、あの美しい鳥の夢が、入っていたんだ。夢屋に行ったら、他の動物の夢も置いているだろうか。
「馬鹿馬鹿しい。これが高級品ってなら腰が抜けるぜ」
ルオーの皮肉めいた口ぶりで、アスールははっと我に返った。
「なぁアスール、本当にこれが高かったやつなの?あんな子供だましの、わけわかんない夢が?」
「おまえ、夢屋の親父にいっぱいくわされたんじゃない?」
「こんなんで六千ってのはなぁ…ちょっとなぁ…」
ルオーの言葉を受け、他の者たちも口々に不満を漏らした。
「そんな…」
周囲の顔を見渡して、誰もが呆れたような、つまらなそうな、がっかりした顔をしているのが、アスールには理解できなかった。
「…僕は、悪くないかなと、思ったんだけど」
「何言ってんだ!巨大トカゲ見ただろ!なんで空なんか飛んでるんだ、悪夢じゃねぇか」
「ローラーで引き延ばしたリスみたいな奴も不気味だったな」
「あとあの変な鳥、長い首がねじれて気持ち悪かったし」
アスールはさらに口を開きかけたが、何も言わずにふ、と小さくため息をついた。
「親方、どうでした?…まぁ、アスールの奴は気に入ったようですが」
お調子者のペルルがにやにや笑いながら言うと、親方は、む、としばらくうなり、ゆっくり答えた。
「こんな夢、六フォランドの価値もないな」
「全く、こんなの見てるくらいなら、試験勉強やってた方が有意義だったぜ」
ルオーの言葉を聞いて皆が席を立ち、その場はお開きとなった。去り際、先輩徒弟のナタンがアスールの肩を叩く。
「まぁ、ルオーは気が立ってるんだろうよ。動物はともかく、俺はあの風景、嫌いじゃなかったぜ」
後には小瓶と、アスールが一人取り残された。アスールは黙って小瓶をかばんにしまい込んだ。

夕方になり、アスールは重い足取りで、その日二度目の夢屋に向かっていた。昼間の一件で、頭がいっぱいだった。
―――どうしてみんなあんなにがっかりしていたのだろう。確かに、見たことのない変てこな生き物ばかりだったけれど…あんなやつらを綺麗だと思った僕は、ちょっとずれてるのだろうか。ちょっとおかしいのだろうか。
沈んだ気持ちで夢屋の扉を開くと、マスターがにっこりとほほ笑んで出迎えた。
「やっぱりまた来ましたね。ロマンスものをご所望、かな」
「……はい」
マスターの調合を待つ間、アスールはぼんやりと棚を眺めていた。
「見ました?」
不意にかけられた言葉に、アスールはどきりとして向き直る。
「さっき売った夢。見ました?」
「え、えぇ、昼休みにみんなで」
「どうでしたか」
「…みんな、気持ち悪いとか、作りものだとか言っていました」
「あなたは、どう思ったんです?」
アスールは棚に目を戻して黙り込む。マスターはちらっとアスールを見て、穏やかに話続けた。
「あの夢の材料は、ニジトサカチョウの羽なんです。寒いところを好む鳥で、この時期になると南から寒さを求めて渡るんですよ。珍しいでしょう。黒の体と虹のとさかのコントラストが綺麗ですよね」
「あんなの、ちっとも綺麗じゃない!」
アスールは、カウンターに金貨を叩きつけて怒鳴る。
「あんな、子供だましの…わけのわからない夢……」
語尾がだんだん消えていく。
「六千フォランドの、価値もない…」
その時、からん、と玄関のベルが鳴り、転がり込むように男が一人入ってきた。
「へいへいへいへいマスター!こないだのちょうだいよ!」
アスールは、振り返ってはっと息をのむと、慌てて目をそらした。
入ってきたのは、大工のヴォルター。
ただ、大工とは言っても名ばかりで、ろくすっぽ仕事もせず、昼間から夢屋に入り浸る夢中毒者として街では悪名高かった。
「申し訳ありませんね、今日はちょうど売れてしまって」
「はぁ~?あんなの買うやついるの?俺以外に?」
と、その時、ヴォルターはちらっとアスールのかばんをのぞき込み、小瓶に目を止めると、あーっ!と大きな声を上げる。
「何!おまえあの夢買ったの!え!」
「は?」
「なんだおまえ~!おまえもあの鳥に惚れたクチか?え?もう一本買いに来たんだろ?」
ヴォルターが肩を回してくる。ほんのり、昼に見た夢の草原の香りがした。
マスターはにこにことほほ笑みながら答える。
「そちらの主人のおつかいで買っていったんですよね。けれど気に入ってもらえなかったようで、工房の皆で見たそうですよ」
「んん?おまえは…たしか紙作ってるとこの坊主だよな。なんだっけ、アジュール…アムール?」
「アスールです」
「あぁそうね、それそれ。んで、どうだった?すごかったよな!」
「……みんな不気味だって言ってましたけど」
アスールはヴォルターの手を払いのけて、先ほど買った小瓶をカウンターに置く。
「多分、あと少しだけ残ってると思いますよ。もういらないので、好きなだけ見てください」
「じゃあ今見ようぜ!」
止める間もなく、ヴォルターが瓶を開く。ふわり、と先ほどの夢の香りがあたりに広がる。



先ほどの水辺に朝焼けが広がっていた。ニジイロトサカチョウが一羽、また一羽と集まってきて、空を見上げてしゃんと立っている。
やがて太陽が顔を出すと、一羽が、澄み切った声で朝日に向かって一声鳴いた。あとから他の鳥たちが続いて声をあげた。
鳴き声の残響が消え、再び静寂が戻ると、鳥達は高く飛翔していった。

「これだよ。…あぁ、やっぱりいいな」
ヴォルターの声でアスールは現実に引き戻された。
「な、坊主」
「僕は…別に」
「口半開きで見てたくせに」
慌てて口を押えると、ヴォルターはにぃ、と笑う。
「俺は嬉しいんだよ。俺と同じものに感動する奴に会えて」
「やめてください、なんであなたなんかと一緒にされなきゃいけないんですか!」
「綺麗なモンを綺麗って言って、感動して、何が悪い?誰かにバカにでもされたか?」
アスールはぐ、と言葉に詰まる。
「感性まで人に決められてたまるかって話だ」
ヴォルターはそう言うと、目を伏せて一瞬何か考えこんだが、やがてぱっと顔を上げた。
「おい坊主、おまえ本物のニジイロトサカチョウを見てみたいと思わないか?」
「はっ…?」
ヴォルターはばんばんとアスールの肩を叩く。
「本物だぜ、ほ・ん・も・の。北の裏山のふもとに、朝四時集合な。そしたら連れてってやる。俺は毎日いるからいつでも来いよ!」
「ちょっ…何」
ヴォルターは言うだけ言って、そのまま店を出ていった。
「なんなんです、あの酔っぱらい!あんな鳥、裏山なんかにいるわけないでしょう、二十年生きてて一度も聞いたこともないですよ!ねぇマスター?」
マスターはにこにこと笑いながら黙ってボトルを磨いている。
「え?まさかいる、とか言わないですよね?」
「真実かどうかは、その目で確かめてみると良いんじゃないですかね」
「は、はぁ…」
アスールは、釈然としない気持ちで店を出た。

翌朝まだ真っ暗な中家を出て、裏山のふもとに行くと、確かにヴォルターが立っていた。
「おぉー坊主!来たか!」
「アスールです。僕の名前、覚えてないんでしょう?」
「覚えてる覚えてる。さぁさぁこっちだ」
ヴォルターはどんどん裏山を登り始めた。
「ちょっと、どこまで行くんです」
「まぁまぁ、夜明け前には着くから」
息を弾ませながら山道を登り続け、頂上に着いた時には朝日が昇ろうとしていた。
「ほら、見えるか?あれ…」
見下ろすと、国壁の向こうに草原が広がっていた。ヴォルターの指す先には、湖が一つ。そのほとりには、小さいけれども、確かにあの時に見た、ニジイロトサカチョウの姿があった。夢で見たのと同じように、朝焼けに向かって次々に鳴き声を上げる。その美しく澄み渡った声が、冷たい空気を裂いて裏山まで届いた。
「すごい…」
思わずアスールの口から、言葉が漏れていた。
「綺麗だろ?」
素直に頷くと、ヴォルターはにやっと笑った。
「他の奴には秘密だぞ」
「どうせ言ったって、誰も信じるわけないですよ。僕だって、まさか本当にいるなんて思ってなかったですし」
「でも、おまえはちゃんとここに確かめに来ただろ?みんなとは違う」
「っ、違わない!僕は、異常じゃない!」
二人の間に重苦しい沈黙が降りる。ヴォルターは、少しさびしそうに笑った。
「うん、悪かったな、坊主。つい、嬉しくってはしゃいじまった」
アスールはぐっとうつむいて唇を噛み締めた。
「さ、戻るか。仕事に遅れちまうだろ」
それきり二人は言葉を交わすことなく、山道を下りて行った。

それから、アスールは何事もなかったかのような日常の生活に戻り、親方試験に向けて準備を進めていた。
本格的な冬が訪れようとしていた。そんなある日の帰り道、ナタンが声をかけてきた。
「おい、今度の試験、ユグが試験監督として来るんだってよ!」
ナタンの言葉に、アスールの顔がぱっと輝いた。ユグは、五年前に親方としてこの工房から独立していった元徒弟だ。当時入ったばかりのアスールにいろいろなことを教えてくれた、兄のような存在だった。
「元気かな、独立してから全然会ってないけど」
「便りがないのは良い便り、ってやつだろ。この仕事に人生賭けるって燃えてたからな、きっとバリバリやってるさ。楽しみだな」
「うん!」
アスールは目を閉じ、ユグの言葉を思い出す。
―――俺はな、独立したらいろいろな紙を作ってみるぞ。羊だけじゃねぇ、同じように牛やウサギ、他にもいろいろな動物で紙を作れると思わないか?それで、珍しい紙を売るユグ商店ってのを開いて、金を集める。そしたら、羊皮紙の研究所を作って、若くて有望な羊皮紙工をいっぱい集めて、のびのび研究させるんだ。いろいろ研究してもっともっと面白い羊皮紙を、安くて使いやすい羊皮紙を、世に広めたいからな!
―――すごいな、そしたら僕も一緒に研究したいなぁ…
―――もちろんだ!研究所が出来たら、真っ先におまえを雇うぞ。面白いもん作っていこうな。だから、早く独立して、自由に動けるようになれよ。待ってるからな!
アスールの口元に自然に笑みが浮かんだ。自由になって、ユグはどこまで遠くへ、どこまで高みへ到達したのだろう。

「どうだった?技能試験の手ごたえは」
「上等上等」
アスールは、目の前に座ってビールジョッキを傾けるユグに向かってにやりと笑って見せた。
「嬉しいな、おまえとこうして酒を飲める日が来るなんて」
「うん、僕も嬉しい。久しぶりだね、ユグ。元気?」
「ぼちぼちな」
少し疲れた顔でユグはほほ笑んだ。額のしわが、以前より深くなっているな、とアスールは思った。
「いやー、おまえもとうとう親方になるのか。親方はいいぞ。一生安泰だぞ」
ユグの言葉に、アスールは眉をひそめた。
「安泰?ユグらしくないね?」
ユグは苦笑した。
「昔の俺はちょっととんがってたからな」
「そうだ!あれから、研究どうなった?新種の紙、できた?」
「あぁっと…そんなことも言ってたっけ」
ユグは力なく笑って、空っぽのジョッキに目を落とした。
「なかなか忙しくてな、着手はまだ難しいかな」
「え?だって、もう徒弟も何人か抱えてるでしょ?仕事の一部を任せたら、研究の時間作れるって言ってただろ」
「あいつらを管理するための作業時間が増えてきてるんだ。それにな、変わったことしてると、親方ギルドで浮くんだよ。目をつけられたら、まぁやりにくくってしょうがない」
「じゃ、ユグ商店はいつ開くの?」
「懐かしい話だ。あれは若いからこそ出せた恥ずかしい空想だから、忘れてくれよ…」
アスールは、少し苛立ちながらさらに尋ねる。
「それじゃ、昔の夢を捨てて、ユグは幸せなの?」
ユグは一瞬ぐっと言葉に詰まったが、ゆっくりと自分に言い聞かせるように答えた。
「あぁ、幸せに決まってる。毎日飯を食える。やるべきことは決められているから、余計なことを考えなくていい。家に帰れば、ゆったり夢を楽しむ時間が待っている。これ以上の贅沢、何を望むと言うんだ?」
アスールは、じっと黙り込む。
「おまえはまだ若い。俺も昔はそうだったが……おまえもいずれ…そうだな、親方になればわかるよ」
ユグは運ばれてきたビールをぐびっと飲むと、深くため息をついた。
「来たる面接試験に向けてひとつアドバイスだ。変人は好感度が下がる。俺は面接で『新しい紙を作りたい』と言ったら目をつけられた。面接ではとにかくおとなしく、つつましくしておけ。最初の印象が大事だからな」
「うん…」
アスールは何とも言えない絶望感と虚無感に襲われていた。
親方になることで、いずれ自分もあんな風に、いろいろなことを少しずつ諦めていくのだろうか。それが、一人前になるということなんだろうか。

とっぷり暗くなった道をぼんやり歩いていると、夢屋の主人が荷台を引き引き歩いてくるのが見えた。
「こんばんは」
「こんばんは。今から卸しに行くんですか?」
「えぇ。こんな時間ですが、大量注文が入りまして」
マスターはちらりと荷台を見やる。「それで、裏山には登ってみましたか?」
「あ……えぇっと、まぁ」
首をひねるマスターに、アスールはもじもじと弁明する。
「いや、えーと…僕あの人に余計なこと言っちゃって…少し気まずくなっちゃったので、一回行ったきりになってて」
「あぁ…だからヴォルターはここ最近やさぐれてたんですね」
「やさぐれてた?」
「えぇ。せっかくあなたと気が合って仲良くなれそうだったのに、ってうだうだ落ち込んでいましたよ」
マスターは、荷台の上の箱をごそごそ探り、夢の瓶をひとつアスールに手渡した。            
「いつもの鳥のです。良かったら、あいつに届けてやってくれませんか。明日の朝にでも」

翌朝日の出前の裏山に足を運んだアスールを見て、ヴォルターは目を丸くした。
「うぉ」
「お…おはようございます」
「うん」
「こ、これ!マスターから」
アスールが瓶を差し出すと、ヴォルターはちょっと迷ってから受け取った。
「ありがとな、わざわざ」
アスールは、なんと言えば良いかわからず、じっと立っていた。ヴォルターは、しばらくアスールの顔を見ていたが、やがて湖の方へ目を向けた。
「そろそろあいつら鳴くぞ」
「…あの、また、ここに来てもいいですか」
ヴォルターはびっくりした顔で振り返る。と、にんまりと笑った。
「もちろん!…あ、でもあんまり来ると、他の奴らに怪しまれるからな、うまく調整して来いよ」
「はい」
「なんだっけ、おまえそろそろ試験なんだっけ」
「えぇ。もう技能試験は終わりましたけど、面接は五日後に」
「そっか…」
ヴォルターはしばらくじっと考えて、うん、と一人頷く。
「じゃ、落ち着いたらまた話そうな」
「えぇ、また」

面接試験の終わった翌日、夢屋に買い物に来たアスールはたまたまヴォルターと出会った。
「おぉ坊主、面接はどうだった?」
「まぁ、まずまずですね」
「おまえなら大丈夫だろ。…よーし!」
大きく息を吸い込んで、ヴォルターはぐっと背筋を伸ばしてアスールに向き直った。
「そっちの試験が終わったし、話したいことがある」
「なんです?」
「おまえ、空飛んでみたくないか?」
「……は?」
「俺の大工技術と、お前の羊皮紙。かけ合わせたら、空飛ぶ道具ができるぞ!」
マスターは瓶を磨く手を止めて身を乗り出した。
「おやおや、面白そうな話ですねぇ」
「ちょっと何言ってるかわからないんですけど…人間が?空を飛ぶ?どうやって?」
ヴォルターはカウンターに紙束を広げた。そこには、複雑な計算式やアーチ構造の装置の図面、鳥の絵や物理法則の図が描いてあった。
「昔々、うちにレオナルドって職人がいたんだけどさ」
「あら、懐かしい名前ですね。これは彼のメモですか」
「マスター知り合いなんですか?」
「えぇ。私の父の代からこの店をよく使ってくれていたんですよ。二十年以上前でしょうか、レオナルドはもともとヴォルターのギルドで大工をしていたのですが、王立工学学術院の講師に抜擢されて、そのまま海外招聘されたんです。今は確か…ジュート国で研究員になっているんでしたっけ?」
「そうそう。昔は自由に外に行けたんだから、まったくいい時代だよなぁ~」
ヴォルターはカウンターに頬杖をつき、不服そうに鼻を鳴らした。
「でな、レオナルドは次々いろんな道具を考案しては、こうしてメモに残してったんだ。奴によると、幅六メートルのこういう装置をつくれば、人間でも飛べるんだと」
「飛ぶって言うのなら、僕はこう、もっと、鳥の翼みたいな装置かと思ったんですけど」
「いろいろ計算した結果、鳥みたいに羽ばたくには人間一人の力じゃ難しいってんで、この形で滑空するのが一番うまいやり方なんだと」
「へぇ…」
「まずは十分の一の大きさで模型を作りたい。ここは木組みでできてて、この部分には薄くて丈夫な素材を張らなきゃなんねぇ。そこでだ。俺は外枠を作って、おまえはここになめした羊の皮を張る。で、人間の代わりに人形を固定して飛ばしてみる。どうだ、面白いだろう?」
「そんな…そんなこと、できるんですか?」
「できるんですかじゃねぇよ、やるんだ。ワクワクするだろ?」
ヴォルターは子供みたいにキラキラした眼でアスールを見つめる。
「おまえの課題は、強くて薄くて軽い羊皮紙を作ってくること。今おまえんとこで作ってる羊皮紙の半分の薄さだ。いいな?」
「半分って!そんな、」
「できるんですかじゃねぇ、やるんだ!」
「はー…わかりましたよ」
「そうこなくっちゃな!」
ヴォルターの笑顔を見ていると、わくわくする気持ちが沸き上がってきて、確かに出来そうな気がしてきた。

早速、その日の昼休み、羊皮紙の研究のために業務の後に残って作業をしたい、と頼み込むと、親方はいぶかしげな顔をした。
「残って作業しても、賃金は増やさないぞ?」
「もちろん、わかっています」
「じゃあ何のために、仕事の後にまでそんなことをするんだ?」
「もっと、薄くて強い羊皮紙を研究したいからです。僕はただ、作業する環境が欲しいだけなんです。材料代は、賃金から天引きしておいてください。どうかお願いします」
「まぁ、そこまで言うのなら…わかった。ただ、翌日の業務に障りがないようにしろよ」
「ありがとうございます」
工房を出ようとすると、後ろからルオーが追い付いてきた。
「…最後の点数稼ぎかよ、悪あがきもいいとこだぜ」
「そういうのじゃない」
「どうだか」
ルオーはふん、と鼻で笑うと、肩でぐいとアスールを押しのけて足早に去っていった。
外に出ると、ミロが不安げな顔で門の前に立っていた。
「あっ…アスール、あの、ちょっといいかな?」
「うん?どうしたの」
「……ちょっと、歩こっか…」
「うん」
ミロはそわそわとあたりを見回したり、髪の毛をくるくると指に巻き付けたりしながら、黙ってアスールの横を歩く。
「ねぇ、どうしたの、ミロ。なんかあった?」
「…むしろこっちが聞きたいの」
「何を?」
「今朝、少し早起きしたから、北の裏山の近くを散歩してたんだけど…あの酔っぱらいのヴォルターと山から下りてきたの、あんただよね」
「あ…」
「最近、夜遅くまで残って何かしてるから、一緒に夢も楽しめないし、あんな怪しい酔っぱらいなんかとつるんじゃって…どうしたの?なんか、あったの?」
「ヴォルターは、怪しくないよ」
「なにそれ」
ミロは胡乱な目を向け、唇をとがらせた。
「あの人、昼間っからろくに仕事もしないで、夢ばっかり見てぶらぶらしてるんでしょ。あんたに近づいたのは、うちの技術を盗んで横流ししようとしたりしてるんじゃないの?」
「そんなことない!」
「どうしてそんなことないってわかるの?騙されてるかもしれないんだよ。私、心配だよ。会うの、やめなよ。もしかして脅されてるの?」
「そうじゃなくて、」
アスールは言いよどむ。飛行機の話をするわけにもいかない。
「…気にかけてくれてありがとう、ミロ。僕確かに、あの人のこと、ちゃんとよく知らなかった。でも、脅されたり、危険にさらされたりしてるわけじゃないから、心配しなくて大丈夫だよ。気を付けるから」
ミロはほっとしたように表情を緩め、他愛のない話を始めた。アスールはそれを聞きながら、ぼんやりと考え事をふけっていた。

「ヴォルターは、病院で何をしているんですか」
いつもの朝の裏山でアスールが思いきって切り出すと、ヴォルターの顔が少し強張った。
「なんで?」
「その、僕、あなたのこと全然聞いてないし、知らないなって。だから、もっと聞いてみたくて」
ヴォルターはふーっとため息をついて腰を下ろす。
「病院で、ねぇ。更生プログラムってやつ受けてるよ。夢中毒の害について講義を受けさせられたり、話し合ったり、感想文を書かされたりする。俺みたいな『夢に溺れた頭のおかしいやつ』がたくさんいるよ」
「あなたと話して…確かに変わってはいるけど、皆が言うほどおかしな人間だとは、思いませんでしたよ。もう少し、あなたのことが知りたい。昔は何をしていたんですか」
「ふん、嬉しいこと言ってくれるな。んじゃあ、ちょいと昔話をしようかな」
ヴォルターは昔、工学学術院を出た後、王室御用達の大工ギルドの一員となり、国の外壁工事や、城の塔や倉庫の工事など、種々手がけていたそうだ。
「じゃあ、めちゃくちゃエリートじゃないですか…!」
「まぁ、そうだな」
転落の契機は十五年前にあったという。
ヴォルターは当時、異国の小さな王女の夢を毎日のように買いつけては見ていた。それは娯楽のためでなく、その夢に出てくる王国の建造物をじっくり研究するためだった。夢の中の城壁を子細に分析し、それに基づいた城壁のデザイン改良とその工法を、王や貴族の集まる円卓会議で提案したのが問題になったそうだ。
「ケツの青い大工が建築物のデザインに口を出すなんて、まして国の顔たる城の壁に文句つけたってんだから、そりゃもう大騒ぎさ」
もともとマイペースで自由人な彼を疎ましく思う者。若くて不遜なヴォルターに顔をつぶされたと憎む者。伝統を否定するような奇抜なアイデアに強い抵抗を覚える者。彼らにより、あっという間に「ヴォルターは幼女好きの夢中毒者」と悪評を広められ、そして失職した。しかし、当時の親方が情けをかけ、ギルドの掃除・雑用係として籍を残してくれて、今に至るという。
「あの頃は、良いものを作りたいって一心で、理想を貫くことこそ正義って思ってたからな。今の俺なら、もう少し根回しして、うまく立ち回れてただろうになぁ。十五年経っても相変わらずのダサいデザインだ、今からでも言ってやりたいよ」
「どうして、そんな前向きに明るくいられるんですか?」
「そりゃまぁね、当時は悔しくて、ふがいなくて、憎らしくて辛かったけど、挫折して、エリートじゃなくなったって思ったら、楽になった部分もあるかな。みんな俺を空気みたいに扱うようになったから、自由に生きやすくなったし、今となってはもう、昔ほど明確な敵意を向ける奴もほとんどいないし」
ヴォルターは組んだ指をぎゅっと握りしめる。
「とはいえ、こうして誰かとちゃんと話せると、嬉しいよね…」
アスールはじっとヴォルターの顔を見つめる。
「ま、将来有望でまっとうな青年をワルの道に誘い込んで、俺も悪い奴だよな~…ほら、そんなしけた顔すんなって」
「僕、ますますわからなくなりました。今目の前にあることに疑問を持つことも、新しいやり方に挑戦することも、間違っているんですか?自分の夢を叶えるのを諦めて、誰かの夢をぼんやり楽しんで、目立ち過ぎないように、はみ出さないように生きる、それがいっぱしの人間の幸せ、なんですか?」
ヴォルターは唇の片端をくっと吊り上げて笑う。
「みんなは、そうなんだろう。おまえは?」
「わからない…違うと否定したとして、それと別の幸せを定義することなんて、できるんですか?」
「できるんですかじゃねぇ、やるんだ。そのための模型制作だ」

ある朝、工房前に人だかりができていた。一体何事かといぶかしがりながらアスールが門をくぐると、ささっと道が分かれた。
「ん、君がアスール君かね」
白い口髭を蓄えたスーツの男がかつかつと近寄ってきた。男の胸には、治安判事の金のピンバッジが光っていた。
「はい、そうですが」
「先日、終業後の工房から明かりが漏れていると通告が入ってね。二週間ほど監視させてもらったのだが、君はいつも終業からきっちり一時間と三十分残って働いているね」
「働いているわけではありません、羊皮紙の製法を研究していました」
「えぇそうです、ロロ判事、残業ではなく…」
口を開きかけた親方に、判事はぴっと人差し指を向ける。
「その弁明はもう聞いたのでよろしい。さて、アスール君。我が国の労働法第一〇一条にこう書いてあるのは知っているかね。『国民は、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、国民手帳に記帳された一日の職務にのみ従事しなければならない』。君は国民手帳に記載のない業務に従事している上、それによる精神的、肉体的疲労が本業に支障をきたす可能性もある。つまり、君の行為は労働法に抵触している」
「僕は、決められた仕事の分はきっちり時間内に全てこなしています。その後の個人の時間の使い方は自由でしょう。なぜ駄目なんですか?」
「あぁ君、そういうのはいけない考え方だ。君のような自己中心的な態度が工房の、ひいては地域の、社会の和を乱し、混乱を招く。決められたものを決められた通りに、正しく、間違いなく作るのが職人の仕事。それなのになぜあえて別のやり方を探そうとする?決められた時間の外で働く?そういう外れた行動は、反社会的な側面を持つとも言えるだろう」
ロロ判事は早口で一気にまくしたてると、ひげをくるりとひねってしかめ面をする。
「つまり己の領分を超えるな、ということだ」
判事は胸ポケットから取り出したノートを読み上げる。
「アスール君は労働法第一〇一条に反するとして、一週間の謹慎処分とする。業務外に作成した羊皮紙は―――」
判事がぱちんと指を鳴らすと、護衛の者がすっと現れて、張って乾かしている羊皮紙をばりばりと乱暴に引きはがした。
「やめろ!僕の―――」
「没収する」
「返せ!」
掴みかかろうとするアスールを親方が制する。
「通告および処分完了、と」
判事はこれ見よがしに手帳にチェック印をつけると、その場を去った。

治安判事が立ち去ったのち、親方はそっとアスールの肩に手を置いた。
「すまなかった、守ってやれなくて」
徒弟らは口々にアスールを慰めた。
「おれもな、昔は馬鹿なことしたもんだよ。翌日の分の作業をやっておいたことがあって…そしたら、翌日休んでも大丈夫だって思ったからさ。そしたら、あの爺が出てきてよ。これまでの倍作れるのなら、倍のノルマとするって。あんまり馬鹿らしくって、もう余分に働くのはやめたんだわ」
「そうだそうだ、仕事が終わってまで余計な仕事なんてするな。頑張りすぎたら、疲れて働き続けられなくなるぞ」
アスールは、黙って唇を噛み締めていた。
「謹慎で済んで、よかったな。落ち着いたらすぐ戻れるさ」
自分の夢を目の前で破られて、それでよかっただって?
「は、点数稼ぎが裏目に出たな」
アスールは、ルオーをぎろりとにらみつけた。
「よせよ、ルオー」
周囲にたしなめられ、ルオーは肩をすくめる。
「まったくちょうどいいタイミングで謹慎になってくれたよな、おかげで気楽に面接に行けるぜ。どうもありがとう」
ナタンが近づいてきて、アスールに耳打ちする。
「やっかみだよ。おまえが一番親方に期待されてるから…でも気にすんな。たとえ謹慎になったって、おまえなら受かるだろうから大丈夫だよ」
しかし、試験に受かって親方として生きるのが本当によいことなのか、アスールにはわからなくなっていた。

面接試験後に与えられた束の間の休暇の最終日、アスールは裏山に登った。冬の朝の澄んだ空気の中、ニジイロトサカチョウの鳴き声が遠く響いている。
先に到着していたヴォルターは、アスールの姿を認めると、屈託ない笑みを浮かべて片手をあげた。
「よぉ坊主」
「だから坊主ってのはやめてください」
「俺が一人前って認めたら名前で呼んでやるよ~」
がはは、と笑ってから、ヴォルターはそっとアスールの顔を覗き込んだ。
「話は、聞いたよ」
アスールは一拍置いて、
「ごめんなさい」
と頭を下げた。
「なんで謝るんだよ」
「だって、処分されちゃったから…せっかく、いい感じの羊皮紙を作れそうだったのに。作り直してこられなかったから…」
「大丈夫。技術は、おまえの中にある。奪われても、失われはしないよ」
ヴォルターは木組みの模型を差し出した。
「どうだ」
そこには、様々な模様の端切れをつなぎ合わせた布が張ってあった。
「今回はとりあえず家にあったぼろ切れを張っちまった。まぁ、あんまり見た目は良くないが、許してくれ。今度おまえの羊皮紙が出来たら、もう一回張り直そうな」
アスールは差し出された模型をこわごわ手に取った。
「これで、飛ぶんですか?」
「わからん。とりあえず、飛ばしてみよう」
ヴォルターはポケットから人形を取り出して結びつける。
「模型と人間の比重を計算してきたから、原理上はこれでいいはずなんだが…よし、あそこから飛ばすぞ。うまくいけばここまで飛んでくるから、ちゃんとキャッチしてくれよ」
模型を手に高台に登っていくヴォルターの背中を、アスールは固唾を飲んでじっと見守る。
「いくぞー!」
模型がヴォルターの手を離れる。それはすーっと滑らかに、アスールのもとへと飛んで来た。
「うぉおおお!!やっぱりレオナルドの言ってたことは間違ってなかった!飛ぶんだ!」
まっすぐに胸に飛び込んできた模型をキャッチすると、アスールはそのまま雪の上にぼすんと尻餅をつき、茫然と天を仰いだ。
「と、飛んだ…」
ヴォルターは腕を振り回しながら雄たけびを上げ、高台から駆け下りてくる。
「できた、できたよ!実験は大成功だ!」
「それじゃあ…」
「十倍の大きさにするだけだ。そうしたら、人間も飛べる!」
「すごい…信じられない」
「早く親方になれよ。んで、すごい飛行機作ろう。飛行機を作ったら…」
ヴォルターは一瞬言葉を切って、小さくつぶやく。
「この国を、出てもいいのかもしれないな」
アスールは、はっと息を飲んだ。
「この壁の中は、息苦しい。俺はもっといろんなものを見たい。もっと、自由に生きたい」
ヴォルターはアスールの手から模型を取り、高く掲げた。
「自分が面白いと思うものは、みんなにとっては気持ち悪いものだ。みんなが居心地のいい場所が、自分にとっては住みにくい場所だ。きっと俺は、ちょっとここがおかしいんだな」
こめかみをコツコツと叩き、ヴォルターはさびしそうにほほ笑んだ。
「けど、一人じゃなかったよ。おまえみたいな奴に会えた」
「ヴォルター…」
「だからさ、まずは早く親方になれよ。そうしたら、あの壁越えようぜ」
「壁を、越える…」
アスールはぼんやりと繰り返し、遠くにそびえたつ壁を見やった。頭の奥がじんじんと痺れるように感じた。
「うん、ヴォルターとなら、行けるような気がする」
アスールの言葉を聞いて、ヴォルターはにんまりと笑った。
「そうこなくっちゃあ!…さーて、今日のところは解散!」
「あ、あの」
「ん?」
「ずっと、謝りたくて…」
「何を?」
アスールは視線を落とし、拳をぎゅっと握りしめた。
「その…前の、ことですけど…ひどいこと、言って…ごめんなさい。あなたと一緒にしないでくれ、とか、異常だとか」
ヴォルターは少し目を丸くした。
「あなたのこと、何も知らなかったのに。勝手に、先入観持って…」
「もういいよ、そんなの。言ったろ?俺は、同じものを感動できる奴に会えて、もうそれだけで嬉しかったんだからさ」
「僕も…僕も、あなたに会えてよかったです。こんなにもワクワクするのは、生まれて初めてだ」

裏山の道を下りたところで、不意にアスール達の行く手に影が立ちふさがった。それはロロ治安判事と護衛達だった。後ろには、真っ青な顔をしてぶるぶる震えながらミロが立っている。
「な…どういうことだよ」
「以前より君達二人で歩く姿を見て、不審がったミロ君が報告してくれたのだよ。それでアスール君の偵察をしてもらっていた」
ロロ判事は、国民手帳をひらひらと振る。
「僕の偵察、だって?」
「ごめん…だって、あたしアスールが心配、だったし…」
ヴォルターが鋭く舌打ちすると、ミロはびくりと体を震わせて、祈るように両手をしっかり組み合わせる。
「ミロ君の報告によると、君たちは今、山の上で、人間飛行用の装置の模型を飛ばす実験をしていたということだな。一体何のためにそんなことを?」
アスールが口を開きかけようとしたところ、ヴォルターは芝居がかった動きで肩をすくめながら、大声で笑った。
「何のためだと思う?面白いからに決まってるだろ!」
「人が空を飛ぶなんて、狂っている!」
治安判事はくるりとアスールに向き直る。
「さて、先日の不可解な残業もこれで説明がつくな。君はこの模型作りのために準備をさせられていていたのだろう?」
「ちが…」
「そうだよ、俺が無理言って手伝わせたんだ」
ヴォルターは、黙ってろ、と目で制する。
「実に嘆かわしい。何を吹き込んで正しい道を歩く若い青年を惑わせたのかね!君のせいでアスール君は一週間の謹慎処分となったのだよ?」
「正しい?あんたの言う『正しい』ってなんなんだよ!」
ヴォルターはげらげらとけたたましく笑う。まるで狂人のように。ロロ判事は大きくため息をついて見せると、国民手帳を広げた。
「―――ヴォルター君、君は本日付で長期入院とする。アスール君、君は念のため、病院で『検査』をさせてもらえるかね。明日の夕方四時に中央病院へ一時間程度で済むから」
「あ、あのっ!」
「何かね?」
ロロ判事がじろりとアスールを振り返る。
―悪いのは、ヴォルターだけじゃない。僕は無理やり準備させられたんじゃない、自分から加担したんだ。
言いかけて、ヴォルターと視線がぶつかる。なにもいうな、と口が動くのを見て、アスールは視線を落とした。
「あ、明日の持ち物って、何かありますか」
「いいや、手ぶらで結構」
「はい…」
アスールは何も言えず、連れられて小さくなっていくヴォルターの背をただ見届けることしかできなかった。

翌日には、すでにヴォルターの一件が広まっており、誰もがアスールと目を合わせようとしなかった。足早に自分の席につこうとして、そこに見知らぬ少年が座っていることにアスールは気づいた。
「あの、そこ僕の席…」
少年はちら、と目を上げ、そのまま聞こえなかったかのように作業を続けている。
「おまえの席、もうないよ。夢中毒者に、うちの品物を作らせるわけにはいかないってさ」
突然後ろから声をかけられて振り返ると、ルオーが唇をゆがめて笑っていた。ルオーの席にもまた、別の少年が一人腰かけ、先輩から作業を教わりながら懸命にメモを取っていた。
「俺の席ももうないよ。もっとも俺の場合、今日でここを独立していくから、だけど」
「っ…」
水を打ったような静けさを掻き分けるように、アスールは親方の席へ向かった。親方は少し顔を上げて、ふぅとため息をつくと、視線をそらした。
「どういうことですか」
「裏の掃除の仕事は最低限与えてやる」
「待ってください、僕は」
「こんなことになってしまって、残念だ。本当は、おまえを親方として送り出したかった…しかし、このように噂が立ってしまっては…」
アスールはぎゅっと唇を噛み締め、工房を飛び出した。

「あぁいらっしゃい、ちょうどよかった」
夢屋のマスターは、いつもと変わらぬ優しい笑顔でアスールを出迎えた。
「…とても気持ちいい夢のびんを、ください。効果が長くて、幸せな気持ちになれる、そんな夢をください」
マスターの表情が険しくなった。
「何に使うつもりでしょう」
「何にって、夢を見るために決まっているでしょう」
しばらく黙りこんだ後、アスールは口を開いた。
「僕をかばって、ヴォルターは病院に連れていかれました」
「そう、でしたか」
「僕は見ていることしかできなかった。保身に走ったんです。僕は卑怯だ」
「ヴォルターは、あなたを守ろうとしたのだから」
「でも、結局同じだ。守ってもらったけれど、消えない烙印を押されたことに変わりなかった。夢中毒者、って」
アスールの目から、ぽろりとひとしずく涙がこぼれ落ちる。
「僕もきっと、ほどなく彼みたいに長期入院になる。そうでなくても、みんなもう僕を『夢中毒者』としか見ないし、この街では、きっと親方になれない。それでも僕は、ここで、一生暮らしていかなきゃいけない。みんなの幸せが、僕には幸せとは思えない、こんな世界でずっと暮らしていかなきゃいけない。だったらもう、夢をたくさん浴びて、正気を失ってしまいたいんです」
マスターは静かに首を振る。
「お待ちなさい。預かり物が、あるんです」
マスターはちょっとかがんで、カウンターの下から魔法のように次々と品物を取り出して並べていく。少しの食料と水筒。羅針盤。それから、袋いっぱいの金貨。ランタン。小さな鍵。
「これは…」
アスールは困惑しながら、置かれた荷物とマスターの顔を見比べた。
「あと、言伝もね」
差し出された封筒を開くと、走り書きされた街の地図と手紙が入っていた。



アスールへ

この手紙を読んでいるということは、俺は病院かどこかにいるということだろう。そしておまえも、同じく病院行きが確定したということだろう。
そしてつまり、壁を超える時が来たということだ。

いいか。おまえは若くて技術がある。こんな国で、くすぶってちゃダメだ。この国を出るんだ。
瓶詰めの夢じゃなく、本当の、リアルな夢を掴みに行くんだ。

脱出の道は同封した地図に書いてある。
広場の北側に、いつも鍵がかかったままの国有倉庫があるのは知っているだろう?その裏口が実は、壁の整備用梯子に続く道への入り口になっているんだ。倉庫の鍵もマスターに渡してあるから、忘れるなよ。
裏口を出たら、左にまっすぐ進むと梯子がある。そこから壁を登って、思い切って飛び降りるんだ。

壁の外には連日の雪が積もっている。身一つで飛び込めば、衝突の衝撃を防いでくれるはずだ。命を失わずに済むかもしれないが、もちろん大怪我しないとも限らない。
けれどそれがここを離れ、自由を掴む唯一の、最後のチャンスだ。
本当に覚悟があるのなら、飛べ。

壁を越えろ、アスール。
おまえにならできる。

    ヴォルター




手紙を目で追いながら、アスールの目に光がよみがえっていく。
「…決意は固まったようですね」
マスターがほほ笑む。
「その強い意志があれば、どこへだって行けます」
「必ず、あちらの街へたどり着きます」
もう一度、もらった荷物に目を落とすと、消え入りそうな声で呟いた。
「ヴォルターも、一緒に行けたらよかったけど…」
「きっと大丈夫ですよ。彼はとてもタフですからね」
「僕だけ自由になっても、いいんでしょうか」
「あなたが自由にならなかったら、彼が悲しむのを想像できるでしょう?」
アスールはぐいと目をこすって顔を上げると、しっかりと頷いた。
時計は四時を指していた。
ポケットから国民手帳を取り出す。

15:40 【未着手!】中央病院へ出発すること
15:50 【未着手!】中央病院北棟一階受付にて検査の受付をすること
15:55 【未着手!】問診票を記入すること
16:00 【未着手!】中央病院北棟三階にて検査を受診すること

赤く並んだ未着手が激しく点滅している手帳を乱暴にポケットにしまう。と、だんだんだん、と戸を叩く音がする。
「行きなさい。あなたを探しに来たようだ。勝手口から出て、まっすぐ走りなさい」
アスールはマスターの手をぎゅっと握りしめる。
「本当に、本当にありがとうございます。どうか、お元気で」
「羽ばたきなさい。鳥のように、どこまでも」
「はい…!」

背後から怒号と足音が追いかけてくる。
捕まったら、きっと、ヴォルターと同じように病院に送られるのだろう。
急に背筋が寒くなり、足が止まりかける。
―捕まってしまうんじゃないか。逃げるなんて…
「っ、できるんですか……じゃない……やるんだ!」
再びスピードを上げ、広場を抜けて国有倉庫へ向かう。かじかむ手でようやく倉庫の鍵を開け、薄暗い中をランタンで照らしながら裏口のノブを回して飛び出す。
足がつりそうになりながら梯子に駆け寄り、無我夢中で登り始めた。
どやどやと喧騒が迫ってくる。下からロロ判事が叫ぶ声が聞こえてくる。
「君!落ち着いて、どうか落ち着いて考え直すんだ!そんなところから飛び降りたら、死ぬしかない!」
後ろから、はしごを登る音が、荒い息遣いが、次第に追い付いてくる。
「アスール君!もう一度繰り返す!冷静に、落ち着いて考え直すんだ!今すぐにそこから降りてきなさい!」
壁のてっぺんにたどり着いて見下ろした瞬間、その高さに一瞬くらりとする。
―――羽ばたきなさい。鳥のように、どこまでも。
―――壁を越えろ、アスール。おまえにならできる。
「最終警告だ。その境界を超えれば、もう二度と戻れないぞ…!」
アスールの襟首に追手の手が伸びる。
「かまうもんか!」
アスールは迷いを振り捨て、ひらり、と身をひるがえした。

ずん、と体中に衝撃が走る。
頭が真っ白になる。
一瞬の間を置き、痛みが全身を駆け抜けた。


どれくらい経っただろうか。
そっと体を起こし、手足を曲げ伸ばししてみた。落ちた衝撃の痺れがまだ残っているが、幸いどこも折れていないようだ。
立ち上がった拍子に、ポケットから国民手帳が落ちた。
と、それは雪上で炎に包まれ、風に乗って灰がふわりと舞い上がった。つられて視線を上げて、アスールは息をのんだ。

そこには、壁に隔たれることのない、広い星空が広がっていた。

つ、と涙が頬を伝う。
目の前に果てしなく広がるのは、自由だった。
ゆっくり壁に背を向けると、アスールは遠くに見える灯を頼りに歩き出した。
***

ご無沙汰しています。
ジューダ国に無事到着し、こちらの生活も、ようやく落ち着きましたので手紙を書いています。

最初は、全く違う生活環境に、戸惑いの連続でした。
この国には、国民手帳がありません。日々決められて与えられる仕事もありません。いろいろな人が、いろいろなことをしています。
みんな自由で、僕も自由です。

あのレオナルドの建てた工学技術研究所の羊皮紙部門で働き口が見つかりました。
レオナルド本人にも会うことができました。模型の話をしたら、とても喜んでいました。ヴォルターの昔の話をたくさんしてくれました。

ヴォルターはどうしていますか。
あの人のことだから、いつか突然ふらりとこの街に現れるような、再開の日は遠くないような、そんな気がしています。

休みの日にはよく、近くの森や山を歩き回っています。
あの、ニジイロトサカチョウを間近に見ました。
他にも、たくさんの植物や動物を目にしました。

世界はとても美しいです。
世界はとても色鮮やかです。

さて、こちらで集めた標本をいくつか送ります。
正直僕は、これらを送るのを迷い、躊躇い続けていました。
外の夢の材料を提供することがよいことか、わからなかったからです。

あの時ニジイロトサカチョウの夢を見ていなかったとしたら、僕はいまこうして幸せだったかわかりません。
けれども、僕の送った標本から作られた夢に心奪われた人が、夢中毒者として病院に送られていくのかもしれない。
あるいは、外に憧れて壁を越えようとして危険な目に遭ったり、捕まったりするのかもしれない。
ただただ残酷な夢を見せるだけの結果になってしまったら、と思うと僕は怖かったのです。

それでも、僕はあなたに夢の材料を送ることを決めました。
あの日病院行きを宣言されて、工房の皆から冷たく見捨てられて、それでも僕は、この美しい世界を知らなければよかったとも、ヴォルターと出会わなければよかったとも全く思わなかったからです。
むしろ、この世界を知らずに生きるよりずっと幸せだっただろうと、僕は思ったのです。

僕は、昔の僕のようなひとに、希望を届けたい。
目の前の狭い世界に虚しさやもどかしさを感じて苦しむひとに、世界は思う以上に広くて色鮮やかだと示したい。
うまく周りに合わせられなくて窮屈な思いをするひとに、自由に羽ばたくことができる場所は確かにあると伝えたい。
だからどうか、この標本達に宿る美しい記憶から、素敵な夢を、誰かの希望を作り出してください。

それでは、また逢う日まで。

             <了>

鳥を夢みた男の話 鳥を夢みた男の話 Reviewed by 影織 on 5月 01, 2018 Rating: 5