やりたいか、やりたくないか、それが問題だ...上手な選択のコツ

「最後に一個残ったお菓子、欲しい?」
「食べたかったら食べちゃっていいよ」

「このイベント行きたい?」
「行っておいた方がいいのかなーと思うから行くよ」

という会話をよくします。
が、よーく考えると、これ、噛み合っていない。


行きたいか行きたくないか、食べたいか食べたくないかという私の希望の話なのに、
「行った方がいいかどうか」という思考の判断や、
「相手が食べたいかどうか」という相手の希望に基づいた答えになっています。

おいおい、私の希望、どこ行った?


自分の希望に意識的になる

「最後に一個残ったお菓子、欲しい?」
「食べたかったら食べちゃっていいよ。けど、もらえるなら本当は欲しい
「食べたかったら食べちゃっていいよ。もうお腹いっぱいで欲しくないから」

「このイベント行きたい?」
「面白そうだからぜひ行きたいし、行っておいた方がいいのかなーと思うから行くよ」
「ぶっちゃけ興味ないし行きたくないけど、行っておいた方がいいのかなーと思うから行くよ」

この太字の部分!自分の気持ちの部分!
これをすっ飛ばしていきなり頭で判断を始めてしまうと、途端に自分の気持ちがわからなくなってしまうんですね。

だから、まず自分に問いかけます。
それ、やりたいの?やりたくないの?


希望を意識するだけ無駄?

やりたいけどやらない(お菓子を食べたいけど人にあげて自分は食べない)
やりたくないけどやる(行きたくないイベントだけど行く)
をどうせ選ぶことになるのなら、いちいち自分の気持ちを感じるのが無意味だ、がっかりしちゃうから感じるだけ無駄だ、という諦めの気持ちになることもあるかもしれません。

そもそも、「どうせ選ぶことになる」は本当でしょうか?
やりたいからやる、やりたくないからやらない、は、本当に選べないのでしょうか?
自分の気持ちに素直にしたがって行動したら、何かとんでもなく怖いことが起こるのでしょうか?
自分の気持ちに素直にしたがって行動することは、極悪非道な行為なのでしょうか?
本当に?
本当の本当に?

...といろいろなツッコミをできるようになるので、
「やりたい/やりたくない」の部分に自覚的でいることはめっちゃ大事です(やりたいかどうか自覚していなければ、そういうツッコミ自体発生し得ない)。

ツッコミを入れた上で、
「よし、やっぱりやりたい・やりたくないの気持ちに従ってみよう!」となるかもしれません。

あるいは、
「やりたいけどやらない、やりたくないけどやることが、逆に私のやりたいことだ」となるかもしれません。
行きたくないイベントでも、行っておくことで自分が安心できると気づいて、ちょっとポジティブな気持ちで参加を決めるとか。

いずれにせよ、自分の気持ちに沿った選択ができるようになるんですね。


まとめ

やりたい?やりたくない?
そこに意識的になることで、自分の気持ちに沿ったいい選択ができるようになるというお話でした。