「終わっちゃうかなしみ」が苦手なあなたへ

春に一時帰国して以来、コロナの影響で戻れずにいたのですが、ようやくイタリア出国の準備が整いました。明後日には飛行機で帰ります(うまくいけば...)。

ということで、今日は終日マンスリーマンションの引き払いの準備や荷造りなどしていました。



「終わっちゃうかなしみ」

私は、「終わっちゃうかなしみ」が苦手です。

夕方には「一日が終わっちゃう...」

日曜夜には「週末が終わっちゃう...」

展示の最終日には「展示会が終わっちゃう...」

イタリアへ帰る直前には「日本での一時帰国生活が終わっちゃう...」

などなど、終わりを考えるとしょんぼりしてしまうんですね。



終わりじゃなく、区切りと考える


終わりじゃなく、区切りと考えてみるのが良いのかな、と思います。


ここで、いきなりちょっと脱線して、昔話の桃太郎について考えてみましょうか。

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」

というこの冒頭一文は、読点が打たれて文としては終わりです。でも、物語自体はまだ続いていくはずですよね。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行き、川で発見された桃から桃太郎が生まれて鬼退治にいくわけです。

この冒頭一文の終わりは、物語を読みやすく、わかりやすくなるようにつけた、ただの区切りなのです。


一日の終わりとか、旅の終わり、一つの生活の終わりや人間関係の終わり。
それは一文の終わりと同じように、一つの区切りです。
その区切りは、自分の人生という物語を読みやすく、わかりやすくするための記号に過ぎません。
そこで区切っても、人生という物語は終わらずに続いていきます

そう考えると、「終わっちゃうかなしみ」に振り回されなくなるのかな、と思います。



まとめ

「終わっちゃうかなしみ」が苦手なあなたへ。

その終わりは、ただの一つの区切りと考えると楽になるかもしれません。

あなたの人生の物語はまだまだ続いていくのですから。