作業工数を見積もる際、「頑張ればできる」工数で計算すると、大概破綻します

頑張ればいけるけども...
その「頑張る」のハードルが高すぎて、しんどくなることがあるのです。
そりゃそうだ...



「頑張ればできる」の罠


頑張ることは、成長に繋がったり、自分の枠を広げたりしてくれるものではあるのですが、それが常態化すると、体や心に不調が出てきます

そりゃそうだ...(2回目)


「頑張ればできる」事は、頑張ればできます。
逆に言えば、頑張らないとできないことです。

頑張る力は、瞬発的・突発的なイベントを乗り越える用に取っておかないと、日々やってたら糸が切れちゃうのだ...( 'ω')


と、かくいう私も、以前は「頑張ればこれくらいできるし」と見越してスケジュールを組むことが、かなり頻繁にありました(今はだいぶ減った)。

死ぬ気で、頑張ってやらないと、周りに許してもらえないような気がしていたので。
できない自分の存在を許すことができなかったので。

「頑張ること」が免罪符というか、存在するための許可証になっていたんですね。



なぜ、その思考を手放せたんだろう?


それは、
死ぬほど頑張ったのに大失敗の結果で、それでも許された経験とか、
人に相談し、助けてもらえたことでうまく行った経験とか、
頑張らなくても許された経験を何度か重ねて、

「頑張ってハードルを超えていくこと」と、
「物事がうまくいくこと」と、
「自分がここに存在していてもいいんだと感じること」を、
それぞれ独立の事象として捉えられるようになったからではないかと思います。

(それまでは、「頑張ってハードルを超え、物事を成功させることで、初めて自分の存在が許される」とひと繋がりのものとして捉えていたのです)




まとめ

「頑張ればできる」と言う言葉を掲げ、頑張りすぎてしまう人。

なぜそんなに頑張ってしまうのだろう?
頑張るのを手放すのは、なぜ怖いんだろう?
もしそこまで頑張らなくても大丈夫なのだとしたら?

そんな風に内観してみると、立ち止まるヒントが見えるかもしれません。