ある方とお話ししていた時に、

  • 誰にも見せないノートなのに、自分がネガティブに感じたことを書いていると、
    「こんなことを書いたらバチが当たる」
    「思ってることが人にバレたらどうしよう」

    と気にしてしまう

と聞きました。



まず、思うことを許す


思うことは自由なんです。
湧いた感情や思考に、正解・不正解はありません


大前提として、感情はお天気のように移ろうモノで、勝手に移り変わっていくものであり、湧くことを止めることはできないのです。

雨よ、降り止め...!と叫んでも、雨が止まないように、
怒りよ、消えろ...!と叫んでも、消えるものではないのですよね。


ただ、湧くのが止められなくても、湧いた感情を元に、どう行動するか、を人は選ぶことができます

相手の言動にムカついた時、相手を殴ることも、黙ってその場を立ち去ることも、笑いに変えることもできる
そこには自由がある。

ムカっと感じてしまった感情をなかったことにすることはできなくても、それを元にどう動くか、を選ぶ余地は残されているとも言い換えられるでしょう。



何を感じてもいい。
と言うか、感じることは止められません

むしろここで、なかったことにして、押し込めてしまう方が良くないです。
押し入れに生ゴミを隠しても、一見目の前から片付いたように見えて、なかったことにはならないですよね。
むしろそのうち腐敗して、悪臭が漂ってくる。

ネガティブな気持ちも同じで、蓋をしてもなかったことにはならず、ちくちくと心を刺してくるのですよね。
そして、押し込めたものは、悪臭が漂うようにバレやすいのです(例えば、イライラしてる人の近くに行くと、その人がどんなに隠してても、なんだかピリついた感じがすること、ありますよね?)。


まず、そこに感情があると認めよう。
ネガティブでドス黒い気持ちを持っていたっていいんだ。
その上で、その気持ちをどうしようか?



ネガティブと向き合う


ここで、ネガティブ感情があるのだ、と認められるからこそ、

なぜそう感じるのだろう?
どんな観念があるから、そう感じているのだろう?
その観念は、手放せないだろうか?

と、自分と向き合う次の一歩を踏み出すことができます



いい人でいたい。
浅ましい、ねじれた、歪んだ、黒い気持ちをもっている自分なんて認めたくない。
...という気持ちもすごくわかります。

わかるけれど、まずこの自分のネガティブが「ある」と認めないと、進めないのだ...!

私自身も、以前
「こんなドス黒いことを考えてるって人にバレたら終わる...」
と恐れていたのですが、
バレるも何も、すでに、それは「ある」のです。なんと...

そして、その黒い部分こそ、向き合うべきお宝ザクザクポイントなのですよね。
そこに、自分の歪んだ観念があることを教えてくれているので。


今回の記事では、詳しい向き合い方には触れないのですが、まず向き合う大前提として、ポジティブであれ、ネガティブであれ、出てきた思いを認めるところが、自己対話の第一歩なのです。



まとめ

まず、湧いてくるものを全て許そう。

その上で、その湧いたものと向き合っていこう。