コーチングをしていて、
「前に向き合っていた部分をクリアしたと思ったら、また同じような課題が出て来たんです。いつになったら終わるんですかぁ〜涙」
という嘆きを聞いたことがあります。
完全に理解した
エンジニア界隈では、「完全に理解した」「なにもわからない」「チョットデキル」という言い回しがあります。
【エンジニア用語解説】
— 伊藤 祐策(パソコンの大先生) (@ito_yusaku) September 20, 2018
「完全に理解した」
製品を利用をするためのチュートリアルを完了できたという意味。
「なにもわからない」
製品が本質的に抱える問題に直面するほど熟知が進んだという意味。
「チョットデキル」
同じ製品を自分でも1から作れるという意味。または開発者本人。
※リーナス・トーバルズはLinuxを開発した人です。
「ワタシハ リナックス チョットデキル」Tシャツを着るリーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)の勇姿その2。 #Linuxcon pic.twitter.com/46eMSkUX4U
— ニャゴロウ_小笠原種高@図解即戦力AWS・Dockerきほんのきほん好評発売中 (@shigetaka256) May 21, 2014
チョットデキルに至るまで
自分の持っていた大きな思い込みと向き合ってスッキリした時に、「これもう完全に理解したわ…」とドヤる感じる。
しかししばらくして、同じような壁にぶちあたって絶望し、「なにもわからない…」と愕然とする。
その過程でさらに深く向き合って言語化する中で、スムーズに乗り越えられるようになっていて、「チョットデキル」自分に気づく。
私自身、幾度となく「完全に理解した」と思い込んではへし折れる経験をたくさんしてきたのでわかります。えぇ。
でも、この「なにもわからない」に突き落とされることは、決して悪いことではないと思うのですよね。
内観って、いわば螺旋状に進んでいくものだと思います。
似たような問題や悩み、過去体験したような嫌なシチュエーションに繰り返し出会うかもしれません。が、その都度向き合って気づきがあったのなら、全く同じ場所に戻ってきたわけではなく、ぐるっと螺旋を描き、一段高い場所にやってきたようなものなのです。
その時には、前より少し高い視座から問題を見られるので、以前とは別の判断や対応をできるようになっているはずです。
まぁもちろん、学ばずにまた同じやらかししちゃった...ということもよくあるけども。
そうだとしても、過去と違って、自分のパターンや癖に気づけているのなら、間違いなく前進しているから大丈夫。
一発で完全に「チョットデキル」になるのは難しいんですよね。
思い込みが外れても、反射や長年の癖で、つい馴染み深く窮屈な選択をしてしまいがちだから。
なので、繰り返し繰り返し、新しい思い込みを体に馴染ませ、選択し直していくことが大事なのだと思います。
まとめ
いつもこのパターンで悩む、つまずく、引っかかる。
本当にあるあるです。
「完全に理解した」と「なにもわからない」を繰り返しながら思い込みと向き合っていくことで、だんだん乗り越えていけるので、焦らないのが肝要なのではないかな。
自分のパターンを見つけて向き合うコツが知りたい人は、こちらもぜひ。

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