昨日からCOMPLEX展がはじまりました。
その準備作業をしていた時に、ふと思い出した昔の話をしてみましょう。

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小学校の頃、「忘れ物カード」というものがあり、提出物だけでなく、教科書やノート、体操着など、授業に必要な物を忘れ物をするたびに、そこに記入しなくてはなりませんでした。
しかもそのカードは黒板の下にかけてあるので、授業中に忘れ物に気づいた場合は、そこに書きに行かなければなりませんでした。
私が忘れ物をすると、
「え〜あの"マジメ"な影織ちゃんも忘れ物なんてするんだね〜」
とクラスメイト達に大声で笑われました。
みんなの前でバカにされるのが怖くて、忘れ物が出来ませんでした。

更に、小学校の時に通っていた塾では、めちゃくちゃ怖い先生がいて、宿題をやってきたノートを抜き打ちでチェックし、忘れると、1人ずつ立たせて理由を言わせる、なんてこともありました。

そんなことがあり、忘れ物をすることに強い恐怖を感じていました。
今でもその名残か、イベントや旅行の前日準備や荷造りをしていると、「忘れ物大丈夫かな」と底知れぬ焦りや不安に急き立てられるように感じます。

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失敗を恐れる原因


失敗を
「不名誉な事だ」
「ダメな事だ」
「恥だ」
と思いこみすぎると、失敗出来なくなります。

例えば、私は忘れ物という失敗をしないようにと、その日に出た宿題を全てメモして、不足がないか必ず友人に聞いていました(しつこいと思われていたかもしれません…)。
そして学校でも塾でも、各授業ごとの持ち物を全てリスト化して、それを点検しながら準備し、さらに寝る前に幾度となくカバンの中身、ファイルの中身を確かめていました。
はたから見ると滑稽ですが、それらを大真面目にやっていたのです。

しかし失敗を0%にするのは、100%不可能なのです。
どんなに気をつけたって、つい、やうっかり、は避けられません。
そのたび自分を責めてしまうと、苦しくなって、さらに失敗が怖くなってしまいます。


失敗の何がつらいのか


①失敗した自分のことを、人がどう思っているかが怖くなるから。
もし自分しかいない無人島に暮らしているとして、出掛け先で家に忘れ物をしたと気付いても、恥ずかしくないでしょう。
しかし、忘れ物する姿をみんなに見られて笑われると、「自分はみっともないとかダサいとか思われているんじゃないだろうか」と怖くなります。

②「こうあるべき、こうありたい」という自分への理想と、「失敗した、できなかった」という自分の実体のギャップに自分でダメ出しするから。
人の見ていないところでの失敗だとしても、自分の理想像と現実が離れていると、ダメな自分が嫌になってしまうかもしれません。

どう考えたら失敗しても落ち込みすぎないのか

あなたの失敗の恐怖の本質を考えてみましょう。
なぜ失敗するのが怖いの?と何回も掘り下げて自分に聞いてみるのです。

これは人それぞれかもしれませんが、
私の場合、失敗の恐怖の本質は「見捨てられる事」にあると感じました。
私は失敗してしまった→私は恥ずかしい人間→私はみんなにバカにされ、見捨てられる
と一気に考えてしまい、怖くて動けなくなってしまうのです。

恐怖の本質が見つかったら、そこに反論してみましょう。

・誰かが同じ失敗をしたのを見たら、自分はその人をバカにして笑うだろうか?見捨てるだろうか?…いや、見捨てない。じゃあ、同じようにバカにしない人もいるんじゃないか。
・本当に全ての人にバカにされて、見捨てられてしまうだろうか。…いや、味方でいてくれる人の顔がいっぱい思い浮かぶぞ。

あるいは、一度失敗すると取り返しがつかないという、恐怖を感じる人もいるかもしれません。それならこう考えてみてはどうでしょうか。

・失敗しても、もう一度やり直すチャンスは何回でもある。ゲームと違い、一つのミスで人生まるごとゲームオーバーになってしまうことは、そうそうない。
・これまでいろいろ失敗したけど、結局なんとかなったじゃないか。
・今回よりひどい失敗もしたけど、今では笑い話じゃないか。

こんな風に落ち着いて考えると、だんだん怖さが和らいできます。

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まだまだ失敗が怖いです。
忘れ物に限らず、何か失敗すると、一瞬頭が真っ白になり、心臓がバクバクすることもあります。
それでも落ち込みすぎないで、前向きに歩いて行けたらいいなと思います。