ちょっとご無沙汰していましたが、久々にブログを更新します。

以前は、切り絵にしろ他の趣味にしろ、人と比較して劣等感を感じて落ち込むことが多かったのですが、最近そういうことが少なくなってきたな、と思ったので、今日はそんな話をしたいと思います。


できない自分を許すことで、劣等感から解放される

うまくできない自分、失敗する自分、下手な自分、わからない自分…そういう、不完全な自分を許すと、劣等感を感じなくなります。

不完全な自分が許せない時、「これくらいはできないといけないよね」という自分のハードルを上げ過ぎて、ダメな部分をすごく恥じているものです。
それを埋めようと自分の技術を上げる努力をしても、さらに上のレベルだと思う人を見つけ、やはり落ち込んでしまったり、やってもやっても満たされない虚しさを感じたりすることがあります。いわゆるスランプですね。

では、どうしたら、できない自分を許して、劣等感から解放されるでしょうか。


自信喪失させるもの、人から一旦遠ざかる

あなたが感じてしまった劣等感は、例えば「おまえはダメだ」という人の言葉や、まったく合わない環境が原因であることがあります。
そこにいて、あるいはその人といて、自分の自信をなくしてしまったり、自分がすごく劣った人間だと常にちくちく考えてしまうような場合、一旦そこから離れてしばらく過ごしてみるというのも手です。

本当に「私はだめ、周りはすごい」なのか考えてみる

劣等感につぶされそうな時、周りの人ばかりが輝いて見えて、自分は何もできないような気分になります。
でも、本当にそうなのでしょうか。

落ち着いて観察してみると、すごいと思っている人にもできない部分、苦手な部分があると気づきます。
また、自分はダメだな、全然できないなと思っても、十分にできる人の中にいる、ということもあります(例えばSNSでとても素敵な切り絵作品がたくさん流れてくるのを見て、自分の作品はまだまだと悩むけれども、普段まったく切り絵をしない人からみたら、自分の作品でもすごいと言われる、みたいな)。
そうして考えてみると、ある切り口から見れば「私はだめ、周りはすごい」でも、それが絶対ではないと気付けるようになります。

出来る範囲でやればいいと考える

全方位完璧に死角なし!の状態を目指すから苦しいのであって、自分のできる領分で、自分にできる範囲のことをすればいい、と考えると、少し心が緩みます。
どんなに能力が高くても、できないことはできない、わからないことはわからないのだから、無理に隠そうとせず、「そこはできません、わかりません」と素直に言ってしまっていいのです。

自転車の練習のように、少しずつ何度もやる

普段から自分を責めることが多かったり、自分に完璧を望むことが多い人がいきなり自分を許そうとしても、まず無理です笑
自転車の練習をしている時、何回もこけたり、バランスを崩したりするように、何回も自分を責めたり、自分に厳しくしてしまうでしょう。そうして失敗を繰り返しながら、だんだんとできない自分を許して、劣等感を手放せるようになるのだと思います。
また、自転車は、ただ見ているだけでなく、とりあえず乗ってみないと、乗れるようにはなりませんよね。
自分を許すことも同じで、まず上記のようなことをとりあえず何度もやってみないと、できるようにならないな、と思います。


まとめ

人と比べて落ち込むことを何度も繰り返してきたのですが、そうした劣等感はどちらかといえば、「最近気づいたら大分なくなっていた」という感じなんですね。
それこそ、ひとたび自転車に乗れるようになると、乗れなかった頃に戻れないのと同じなのかもしれません。

繰り返し、少しずつでも自分へのハードルを下げて、できないこと、わからないことを許すことで、劣等感が和らぎ、ある日ふと世界が優しいと気づく、そんな感じなのかもしれません。