自分の選択で、人が悲しんだり困ったりするのではないか、という思いで、なかなか前に踏み出せない、ということがあります。

例えば、独立したいと考える人が、
「せっかくまっとうな仕事についたのに、独立して不安定な道を進むなんて、親を悲しませるのではないか」
「会社の同僚を悲しませたり、仕事の負担を増やして苦しめたりしてしまうのではないか」
などと思って、結局今の仕事をやめられない、とか。

でも、そんなに人の感情、人の機嫌まで責任を持たなくていいんです。

なるべく穏便で人と摩擦が起こらない選択を優先で生きてきた人、人の顔色を伺うことで生き抜いてきた人が、自分らしい自発的な選択をしようと転換していく時。
自分がすごく冷酷な人間になったように感じるかもしれません。

他人の感情のケアを、その人自身に任せるということは、決して冷たいことではないんですよね。
自分の行動がきっかけで、その人が嘆いたり、悲しんだり、泣きわめいたりするかもしれない。でも、そのままにしておく。はい、勝手にどうぞ。
その人の機嫌のコントロール権はその人が持つべきものであって、わざわざこちらで処理してあげる必要はないのです。

そして、ちくっと痛い言い方をするのであれば、
あの人が悲しむから。あの人が困るから。
…それはその人への優しさのふりをして、自分の本当の願望と向き合う怖さから逃げているだけかもしれません。
傷つく人のことを心配することで、ひとまずは自分のことを考えなくてもよくなるから。

でも、自分の願望のことは、誰が心配してくれる?
自分の本当の思いは、誰が知っている?
自分しか、いないのです。
まず自分が考えてあげないと、どこにもいけないのです。


まとめ

人の気分、感情の責任を取りすぎない。それはその人に任せよう。
敏感に人に向けていたその目、まずは少しでもいいから自分のために向けてあげて。