楽しく生きるために、周りから見て楽しそうに見える必要はない。楽しむとは何か?

楽しいことをしよう、とする。
例えば、漫画を読んだり、ゲームしたりしよう。
楽しい。
でも、楽しいんだけど、早く終わらせなきゃ(もっと有意義な事しなきゃ)という罪悪感に変わってしまってしんどい。
...ということがあります。

また、
楽しい創作をしよう、仕事をしよう、とする。
最初はワクワク始められるし、完成した時には達成感があるので楽しい。
でも、その間の時間は「やらなきゃ」「頑張らなきゃ」「早くしなきゃ」という気持ちに終われてしまい、しんどい時間が続く。
...ということもあります。

そこまで考えて、
楽しむってなんだろう。
これまで、私は真に何かを楽しんできただろうか。
と思ったんですね。

楽しもうとして罪悪感にやられたり、
楽しもうとして義務感に追われたりして、
ただ楽しむだけ、ということがどんなことなのか、あまりよくわかっていなかったな、と思ったのです。

じゃ、楽しむって何?(哲学)


楽しむとは

「楽しむ」の例をもう少し考えてみます。
何かをめちゃくちゃ楽しんでいる、という時、どんな状態でしょうか。

「読書をすごく楽しんでいる状態」のなら、時間が経つのを忘れてしまうくらい、物語のストーリーの中に没入している、とイメージしやすいですよね。

「家族との食事をすごく楽しんでいる状態」のなら、家族と色々な会話をしながら、目の前の料理を味わうこと、と言い換えられるかもしれません。
その時、「仕事のあの件大丈夫だったかな...」とか、「こんなに食べたら太っちゃう...」とか余計なことを考えるのをやめること、と言えるかもしれません。

つまり「楽しむ」とは「目の前のことに没頭すること」なのではないか、と思ったのです。
罪悪感とか、義務感とか、苦しみとか、過去の後悔とか、未来の不安とか、とにかくそういう余計なことを考えずに、ただ目の前のことに没頭すること


さて、そう定義すると、もう少し大きく、「人生を楽しむ」とはどうなるでしょうか。

私の場合、「人生をすごく楽しんでいる人」というと、
「毎日、遊園地に行くような感じではしゃいで過ごしている人」とか、
「夕方になるとみんなでバスケとかして(?)、その後お酒を飲んでパーティする陽キャ集団」みたいな、テンション上がってる状態の人なのかな...とイメージしていました。
いや、イメージはできるけど、日々そんなテンションで過ごしている人間がいるのか?とも。
そう考えると、何となく「人生を楽しむ」って縁遠いな...とも思っていました。

でも、「楽しむ」とは「目の前のことに没頭すること」という定義に立ち返るとするなら、
こんなにテンションを上げなくても、
「楽しいぜ〜〜フゥ〜〜〜!」みたいに叫ばなくても笑、
人生を楽しめるのではと思ったんですよね。

人生の中で目の前にあること。
仕事の時間、家族との時間、寝る時間、自分の時間。
その一つ一つに没頭する。
こんなこと無駄じゃないかとか、
もっと他のことをしなきゃとか、
急がなきゃとか、
そういう心配や不安をなるべく横に置いて、一つ一つに没頭する。
その連続が、人生を楽しむことなのではないでしょうか。

そう考えると、楽しむって思ったより地味なことなのかもしれません。
大勢で騒いでるとか、キャッキャ笑ってるとか、外から見て明らかに楽しそうな様子である必要はないんですよね(大発見)。

ただ、没頭すればいいのです。


まとめ

・楽しむとは、「目の前のことに没頭すること」。
・楽しむ時は、過去も未来も頭に置かないで、目の前に集中する。
・楽しむことと、楽しそうに見せることは違う。楽しいからといって、楽しそうに見せる必要はない。