人を喜ばせることへの抵抗感(前編)

先日、ふと実家にイタリアの食材を何か送ろうかな、と思いついたんですね。

しかし、何か食べたいものはあるか聞いてみたら、口に入れるものはNGと言われて、予想以上に、心臓に何か突き刺さったかと感じるくらいショックだったんですね。


なんで、こんなにショックだったのかな、と考えた時、

・自分のやることは人を喜ばせられない

・喜ばれるためには、すごく気を遣って頑張らないといけない

・自分がいいと思うものは、どうせ受け取ってもらえない

・だから人に与えることは辛い(すねてる)

という思い込みがあることを発見したのです。



なぜショックだったのか

他人を喜ばせる原体験として、親を喜ばせた体験について改めて考えてみました。

すると、中学や大学受験で第一志望に合格したことくらいしか思い浮かばなくて、愕然としたんですね。

親は本当は、もしかしたら他のタイミングでも喜んでいたかもしれないけれど、自分がちゃんと親を喜ばせることができたな、と実感できたことが、本当にそれくらいしか出てこなかったのです。

また、自分がいいな、と選んできたもの(部活とか、職業とか)に対して、

「そんな誰も選ばないようなものばっかり選んだら、変わり者になってしまう」

「そんな地味でマイナーなものじゃなく、もっと華やかなものを選んだらいいのに」

と言われ続けたことも同時に浮かんできたんですね。


そうか。

自分が好きだな、いいなと思うものは、喜んでもらえないと思っているのか。

受験くらい命懸けで必死にやらないと、喜んでもらえないと思っているのか(あの頃、本当に落ちたら切腹する覚悟で頑張ってました笑)。

だから、

自分が喜ぶか(自分がいいな!と思ってあげるけど、相手は喜んでくれない)、

相手が喜ぶか(相手がいいな!と思ってくれるけど、自分があげたかったものではない)

必ずどっちかを犠牲にしないといけないと思っているのかもしれない。


自分がいいと思うものを出して、それが受け入れられないと感じて傷つく。
そうすると、相手に合わせて進めていくものの、そのうちにすねてしまって、やりたくない、辛いと前に進めなくなってしまう。
そんなパターンは、自分の中でめちゃくちゃよくあるな...と気付いたのです。


まとめ

人を喜ばせるということに抵抗感を感じやすいのは、喜ばせるにあたって、受け入れられないことに傷ついたり、相手に合わせすぎることに消耗したりしてしまうからだ、と気付いたのでした。

次回は、どのようにその考え方を変えていくか、のお話です。