以前ある人とやり取りしていた時のこと。

「この文書、メールで送っておきます」
「後でメールしますね!」

と何度か連絡がきて、しかしその都度、
LINEで送られてくることがありました。


(メールで送るって言ったのになんでLINEで?)
(LINEとは別にメールでも送るってこと?)

とモヤモヤしていたのですが、


更にやり取りを重ねて確認するうちに、

「あ、この人は、媒体関わらず、
電子データを送ること全般を『メール』って表現するんだな」

と気づいたんですね。


そこで、

「データはLINEで来ましたが、メールでも別途送るということでしょうか?」

と先方に確認してみました。


すると、

「さっきLINEでメールしたやつが最終版です!」

と返ってきたので、言葉の違いに気づいたんですね。

(「LINEでメールする」って「Yahoo!でググる」みたいでウケてた笑)



人により変わる、言葉の指す範囲


このように、自分と他人の間で、言葉に乗せている意味が全然違って、話が噛み合わなくなることはよくあるな、と思ったのです。


今回の例は「メール」というシンプルな単語でしたが、

「忙しい」「さびしい」「怖い」「好き」「大事にする」

…などなど、主観の入ってくる言葉になってくると、

ますます人によって意味がバラけてきます。


普段誰もが、自分の使う言葉の意味が、
他人の指すものとほぼ同じだと考え、
そこに疑いを挟むことはあまりありません。


だから何か相手とズレが生じた時、

言葉の指す範囲が違うと疑わないから、
言葉を発した相手の真意や意図の方を疑ってしまいがちなのです。



「愛する」って、何する?

もう少し別の例を挙げてみましょう。

例えば、

「愛してるって言ってくれたのに、
全然会ってくれない!
ほんとは私のことなんて愛してないんだ!
うわーーーん!」

みたいに怒っている時。


自分にとっては
「愛する=なるべく一緒に時間を過ごす」

相手にとっては
「愛する=相手が一人でいる時間を尊重する」

と言葉を捉えて使っていたとしたら、

相手は、自分なりの愛する(適度に距離を置く)を精いっぱい行使しているのに、それが全然伝わっていないんですね。




そもそも「愛する」の定義がお互いずれていることを疑わず、
相手の真意や意図の方を疑って、
「私のことなんて嫌いなのかも?」
「浮気を隠すために口先だけで言っている?」
と考えてしまう
から、拗れるのです。

それは悲しい。


そういうすれ違いを避けるために、
言葉のやりとりをしていて、ん?と引っかかったら、
「それどういう意味?」
「こういう捉え方であってる?」

と本人に聞くことが大事だな、と思ったのでした。



まとめ

ん?と思ったら即確認(標語風に)。

それがコミュニケーションを円滑にするコツなのではないかな、と思ったのでした。