ボイトレに通っているのですが、

レッスン開始前までに、

「習ったことを元に、ここまで練習してみました!」

という録音を先生に共有しておき、

当日は、それを元に進め方を相談する、という形で練習を重ねています。



できない自分を晒すということ

このスタイルで進めていくと、

(自分の中の、現段階の最善とはいえ)レベルの低いものを共有し、聞いていただくことになるわけです。

恥ずかしい。笑


また、レッスン中に、その録音を一緒に聞き直すこともあるわけです。

もっと恥ずかしい。笑


でも、恥ずかしいからこそ、それを共有することに意味があるな、と思ったんですよね。



こうなりたいけど、まだなれていない。

あるいは、なりたい方向性もまだピンときていないから、どうしたらいいかわからない。

そんな状態は、恥ずかしいかもしれないけれど、全部のびしろなんです。


下手でも、下手だからこそ、いっぱい鳴いてるってわけよ。


可能なら、できる自分、うまくやっている自分を、外側には見せていたいなぁ。

そう考える時、思わずできない部分を隠したくなりますよね。


でも、思い切って、できない自分、わからない自分を許して開示していけたら、

そのできない部分を全部、のびしろに変換して、大きくステップアップできるのかな、と思ったのでした。



まとめ

できない自分を許して晒そう。