「自分を受け入れる」を理解した瞬間の話

以前、ある心理学系のセミナーに行った時のこと。


「嫌な出来事を思い出してみてください。そして、

『それを嫌だと思った自分を受け入れ、許します』

と声に出して言ってみてください」

というワークがありました。


その後、やってみた感想を参加者同士でシェアすることになったんですね。


「私、これでいいんだと涙が出てきました...」

「自分を許すってこんな感じなんだ、とわかりました!」

「すごく穏やかで優しい気持ちになれました」

など、参加した方が次々に感動溢れるコメントする中、私は一人、

「特に何も感じませんでした」

と言いました。思いっきり浮いてしまった。


講師の方は、そんな私に嫌な顔をせず、

「なるほど、特に感じなかった、というのもまた良いですね

とおっしゃったんですね。


その時、

「あっ、なるほど、自分を受け入れるってそういうことか...!」

と逆説的に気づいて、思わず感動して泣きそうになったんです笑



自分を受け入れるとは?

自分を受け入れることとは、「別解を知ること」なのかもしれません。


「正解」でない自分を受け入れられない

冒頭のケースで、私は、めちゃくちゃ感激している周囲の人を見ながら、

「自分の感性が鈍くて間違っているんじゃないか」

「みんなと同じように感動できない自分は、ずれていておかしいんじゃないか」

みたいな不安な気持ちを抱えていました。


一方で、

「いや、でも感じないものは仕方ないじゃん、知らんがな」

みたいな開き直りと、ちょっとすねた気持ちになっていたんですね笑



「正解」から外れた自分を許す

でも、そんな私の反応もまた良しと言われて、

そもそも、

「感動する=正解」

「講師の思惑通りに反応できる=正解」

「みんなと同じ反応=正解」

という自分の中の公式があって、そこから外れた自分を、自分で受け入れられていなかったんだな...とわかったのです。


何も感じなかったのも正解だし、

大多数の人と違う反応をしたのも正解なんだ。


自分がこうあらねば、と(無意識に)思っていた正解だけが正解ではなかった、と気づく時、

自分を受け入れることができて、ほっと心が緩むのかな、と思ったのです。




まとめ

自分を受け入れることとは、自分の盲点にある別解を見つけて、これもまた良し、とマルをつける作業なのかもしれませんね。