※自分用メモなので、読みにくいかも。



仕事への愛について

・少し前、仕事(受託開発)が立て込んで気が滅入っていた。

納期や、間に合わなかったら自分の立場がないかも…みたいな考え(←利己的な思い)に外的に駆り立てられられていて、仕事への愛が欠落しているからだと思った。

→衝撃&反省&安心感(安心感=苦しみの原因を言語化できたので)


・仕事に限らず創作も、「受動的」な姿勢、つまり時間とか、自分のパワーとか「与える」ことが、「剥ぎ取られる、犠牲」になると、途端に苦しい。

→自分のダメパターンを発見。

→つまり、能動的に与える・愛する姿勢が必要


・目標: 能動性を意識して仕事する。

→プロダクトに愛を注ぐ。メンバーに愛を注ぐ。出来てないことがたくさんある〜〜!!

→なんのために仕事するか?開発完了が目的なんじゃなくて、開発完了した先に、どんな未来を実現したくて、仕事するのか?(「3人のレンガ職人」の寓話を思い出す)

→AR受託開発(プラットフォームの開発)

=コーディングできない人も、自由にARを作って楽しめる環境整備の一旦を担っている

仕事を通じて、自分が望む理想の世界(誰もが、自由に自己表現をできる世界になってほしい)に近づいている、じゃないか!!!


・「仕事だから割り切ってやろう」という姿勢は、楽しているようで逆に苦しみに追い込んでる。集中の話とリンク。

集中して耳を傾けたらもっと疲れるだろうと思いこんでいるが、それは大まちがいだ。どんな活動でも、集中してやれば、人はますます覚醒し、その後には、自然で心地よい疲れがやってくる

 

・おぉぉぉ....これは耳が痛くなる。

人はひとたび仕事を離れると、ほとんど自制心を失い、だらだらと怠けたいと思っている。もっと聞こえのいい言葉を使えば、「リラックス」したいと願っている。怠けていたいというこの願望は、きっちりと決められた仕事にたいする反動である。毎日八時間、自分のではない目標のために、自分の意志ではなく仕事の進行に応じたやり方で、エネルギーを費やすことを強いられているために、彼は反逆する。その反逆は、自分を甘やかすという子どもっぽい形をとる。


 

母性愛について

・いずれ自分が母親になるかもしれないことへの強烈な嫌悪感と不快感。

→自分が母親から「母性愛」を感じられなかった経験。

従順な良い子供はべったりと"愛する"が、自立しようとすると発狂する利己的な母親像。


・友人が母親になり始めている。

「子供を持ってちゃんと愛せるか、不安にならないか」聞いて回ったが、みな一様にワクワク、可愛い、大変なこともある(←夜泣きとか、物理的な話)という言葉ばかりで、子供との精神的繋がりに対する不安の言葉を聞かない。

なんで?何も考えてないの?なぜ何も考えず母親になれるの?それとも自分が考え過ぎ?自分に欠陥がある?というぐるぐる


・本書を通じて、理論的な母親像はわかった。しかし体感がまだあまり腑に落ちず、自分にできるのか、という気持ちがまだ大きい。

ロールモデル、具体的にどんな実践をしているか、例を知りたい。




これについて、母親の顔を持つ内観プロの皆様に聞いたことで、響いたことをいくつかメモ。


・子供は、幸せになる力を持って産まれてきている

→複数人からこの旨コメントをいただいた。

→自分は、子供自身の持つ力を信じてなかったことに気づく。多分親からそう信じてもらえていなかったので。


・「生まれた子供は幸せではない」「子どもを愛せない」と決めているのは、結局自分の"選択"次第。

→自分が愛することにコミットするかどうか

本書の「愛は技術である」という話とリンク。


・子供相手のコミュニケーションの姿勢について。

例えば子供に対して、「こうしなさい」と結論だけ伝えるのでなく、手間と時間をかけて「なぜこうしてほしいのか」も含めて伝えること。

→びっくりするくらい深く刺さった。

親子間でもこのように成熟したコミュニケーションが成立する可能性に気づいて、衝撃を受けたので。


メモ

愛することのキーポイントは「能動性」。

目の前の出来事、他人に振り回されるのでなくて、どうやって愛するか?を考えて行動に移すこと。

そのためには、信念を持ち、それに基づいて自分の持っている力を使う必要がある。能動的に。



今月末に読書会に参加する予定なので、もう少しじっくり読み返す。