以前、「すべてが自然と変わってゆく世界で、何かを固定化しようとすることは不自然だ」という話をしました。

人生の変化に直面して、動揺する時の考え方

人生の変化に直面して、動揺する時の考え方

変わらないものは何一つないという話です。


今日は、その続き的な話をしようと思います。



一撃の「最適解」などない


上記ブログの冒頭、

新卒で大学図書館に入社(入館というべきか)した時、
「ここで一生働いていくんだ…!」
と、ドキドキソワソワしていたこともありました。
が、ご覧の通り、気づいたらエンジニアになっていました。

と書きました。

これ以外にも、「一生変わらないであろう最適解を見つけた」と思うような選択をしては、それを覆して別の選択を取り直す、という瞬間は山ほどありました。

解を一度見つけさえすれば、そこで終わり...というわけではない。
こまめに問い直し、選択し直し続ける必要がある。
その中で、自分にとって最適なバランスの見直しが起こり、その時々で選ぶものも変わっていくのではないかと感じたのです。

もちろん、長く同じ会社に勤めたり、長く同じパートナーと過ごすことはあるでしょう。
でもそれだって、「最適解を一回選択したから、その先ずーっと長く共にいられる」のではなくって、「日々そこにいたいかどうかを再選択し続けた結果として、たまたま長くいられる」のではないかと思ったのです。





もし、
「素晴らしい人/仕事/場所/コミュニティetc...に出会ったから、これでもう安泰だ
と思い込んでしまうと、しばらくして違和感が出てくるものです。

さらにその違和感を放置すれば、
「安泰だったはずなのに...おかしい...」
「あんなに素晴らしい選択をしたはずなのに、なんでうまくいかなくなってるの??」
と、怒りに似た気持ちすら湧いてきます。

この苦しみは、変わらないものなど何一つないのに、揺るぎなく変わらない最適解を見つけたと誤認するから生まれてきているものなのだと、つくづく感じます。ほんとにねぇ。


全ては流動する
人も、自分も、何もかも。
その中で、何を選択するの?
かつて選択した最適解は、果たして今でも「最適」なの?


過去の選択を問い直すのって、ぶっちゃけ面倒で、大変です。
それで違和感に気づいてしまったら、都度修正をかけることになるから...気づかない方が楽かもしれないよね。

でも、面倒だとしても、自分の積み重ねてきた選択を、都度丁寧に問い直し、新たに選び直す生き方をしていきたいなぁと思うのです。
だってその方が、より純度高く自分を生きられる気がするので。



まとめ

流動こそ本質だということを忘れなければ、人生にアップデートをかけ続けることを楽しんでいけるのかもしれないよね。