ここしばらくピサのお散歩投稿が続いていました。
あと数記事分くらい探訪記のストックがあるので、もうしばしお付き合いください(。・ω-)


教会や博物館などの探訪記を書いたのですが、今回記事で紹介している場所って実は、住んでいた頃には一度も訪れたことのなかったところなんですよね。
前を通り過ぎたことはあっても入ったことがなかったり、そもそも存在すら知らなかったり

また、今回の旅では、あちこち路地裏を散策していたのですが、住んでいた頃には全然通ったことのない道が山ほどあることに気づきました。



怖がりだったあの頃と、今の自分

ピサのガリレオの彫像

ピサにいた頃はちょうどコロナ期と丸かぶりで、外出規制がかかっていたというのもあるのですが、それが和らいだ後も、ほとんど近くの観光スポットを訪れていなかったのです。


なぜか?


その当時、私はめちゃくちゃ怖がりだったからです。

近所でたむろしてるちょっといかついお兄ちゃん達が怖いし、お店で店員さんに話しかけられるのも怖い。イタリア語でやりとりしてお買い物するのも怖いし、知らない店に入っていくのも怖い。

何もかもが怖い。
だから、出歩くことも、人と関わることも、意図的に避けていたのです。


が、ここ最近は
「入るなって明言されてなければ、入っていいか」
「話しかけられたら元気よく挨拶すればいいし、怒られたらごめんなさいして帰ればいいか」
というテンションで、割とどこにでもずんずん入っていき、人と普通に会話するようになりました。

そのテンションでピサに戻ってきてみたら、住んでいた当時は自分があまりにも狭い範囲内でしか行動していなかったことに気づいて、びっくりしたのです。



なぜ、自由に動き回れるようになったのか?

アルノ川

一つには、会話の抵抗が減ったことがあると思います。

住んでいた頃の方がイタリア語によく触れていたので、今よりは文法や単語が頭に入っていたはずなのですが、今回の滞在の方が、怖気付かずに店員さんに話しかけられているように感じます。

これって、いろんな人と日本語以外で会話するようになり、間違うことへの抵抗が薄れて、シンプルな言葉で自分の言いたいことを言うのがうまくなったからではないかな、と思います。

中身が伝われば文法ミスしてもいい。
相手にわかってもらえなければ、言い換えや言い直しをすればいい。
ドイツ語やイタリア語の単語が不明なら、その部分だけ英単語に置き換えちゃってもいい。
最悪、Google翻訳を使えばいい。笑

会話に対する「これでOK」のハードルが相当下がったように感じます。


そして動き回れるようになったもう一つの理由は、飛び込んでみて怖いことはそうそう起こらないという体験を重ねたことだと思います。

飛び込む前は怖いけれど、やってみれば意外と大丈夫。
むしろ、なんだか面白いものに出会える。

そうした経験を重ねたことで、「とりあえず未知のものには積極的に飛び込んでみよう」というマインドが育ったのかなと感じます。




ここまで二つの理由を挙げましたが、会話の抵抗も、知らない場所に足を踏み入れる抵抗も、それらがなくなって初めて行動できるようになった、というわけではありません

抵抗や怖さを感じながら行動しているうちに、だんだんそれらが小さくなっていって、安心して動けるようになっていったのです。


そう。最初の一歩は怖いまま、抵抗感を感じるまま、飛び込んでみるしかないのだよね。

怖さも抵抗も、大丈夫という実体験を積み重ねることでしか減っていかないのだから。



まとめ

今回の滞在を通して、過去と現在の可動範囲を比べることができて、とても興味深かったです。時の流れの中にいるとあまり変化に気づけないけれど、こうして確認すると案外成長しているものだね...(๑╹ω╹๑ )

ということで、怖いものにチャレンジすればするほど、自由は広がっていくのだな、と改めて感じた日記でした。