先日、地下鉄を降りようとして、乗り込んできた人とお見合いになってうまくすれ違えなかったことがあったのですが、その時にめちゃくちゃデカい舌打ちをされました(ヒェ)。
いきなりの攻撃的な対応に、驚きとショックで一瞬頭が真っ白になったのですが、
「まぁ...この人は私と全く関係ないところでストレスが溜まってギリギリ限界だったんだろうな...おつかれ...」という気持ちが湧いてきたのです。
多分、昔の私だったら、
「もうちょっと邪魔にならないように歩いていたらよかった...」とか
「今後、また電車乗るの怖い...」
と、びくびくして、ぐるぐる悩んでいたかもしれません:;((•﹏•๑)));:
が、今回は、何かいいブログネタあったかなぁ...と記憶を手繰り寄せるまで、思い出しもしませんでした。
多分、これを書いたらまたすぐ忘れるでしょう。笑
感情の揺れを上手に受け流すために
感情が揺れた時、上手に受け流せるようになったのはなぜだろう?と考えた時、
・人の機嫌は人のもの
・安心して感情を感じていい
この二つの考え方が自分の中に腑に落ちたからだな、と思いました。
人の機嫌は人のもの
人の機嫌は人のもの。
おまえのものはおまえのもの。おれのものはおれのもの。
非ジャイアニズムでいこう。
ということが腹落ちしてから、相手の反応や態度に振り回されにくくなったように感じます。
たとえば相手が攻撃的になったり、感情的になってしまったとして。
自分の言動はあくまでトリガー。
相手の中に何か反応を起こす要因があったからこそ、たまたまトリガーになってしまったのです。
裏を返せば、自分の感情が乱れて穏やかでなくなった時の考え方も同じです。
相手に問題があったのではなく、まず自分の中に反応が起こる要因があって、相手の行動がたまたま刺さってしまっただけなのですよね。
まぁ、誰かの言動にイラッとしたり、傷付いたりしたら、そいつが悪い!って言いたくなるけども。
自分の中で感情を引き起こす要因は、たいてい自分の思い込みです。
こうあるべき・こうあってほしいと自分では思ってるのに、相手がそのルールの通りに動いていないから、感情が揺れるのです。
こうあるべき・こうあってほしいと自分では思ってるのに、相手がそのルールの通りに動いていないから、感情が揺れるのです。
自分の思い込みがきっかけで、感情が揺れているんだな...という感覚が腑に落ちれば、逆に相手が揺れているのを見ても、相手の中の何かしらの思い込みが揺れの原因だな...と落ち着いて見られるようになるのですね。
安心して感情を感じていい
怖いとか、腹が立ったとか、悲しいという感情は、
「あぁぁぁぁ怖かったぁぁしんどかったぁぁ」
「めっちゃ腹立った〜〜〜!キーーーー!!!!」
「あぁぁぁぁ怖かったぁぁしんどかったぁぁ」
「めっちゃ腹立った〜〜〜!キーーーー!!!!」
「うううぅ悲しいぃ...」
などとその場で味わえば、長引くことはありません。
などとその場で味わえば、長引くことはありません。
ですが、そこでなんでも無かったフリをして、クールな態度をキメてしまうからこそ、その感情が冷凍保存され、あとあとまで引きずってしまうのですね。
舌打ち事件直後、エスカレーターに乗っている間、私はしばらく子犬のようにぷるぷる震えてました。マジで物理的に。
でも、しばらくちゃんとぷるぷるしてから外に出たら、ちょっと心がほぐれていたのです。
(ちなみにこんな感じで体にちゃんと感情を通してあげるのがおすすめ。ショックで凍りついた時は体が強張ってしまうので、それを緩めて体が動きたいように動かす感じです)
相手の思い込みが云々...と考える前に驚いて立ちすくんだり、恐怖を感じたりすることがあるでしょう。
自分の思い込みが云々...と考えるより先に、怒りや悲しみなどの感情がワッと溢れることもあると思います。
その時に、それらをフリーズさせてなかったことにするのでなく、「いま、このネガティブな感情が湧いてる」と認識することで、ちゃんと味わうことができるように感じます。
仮にその場でできなかったとしても、後から、誰もいない安心安全な場所で感じ直すことで、引きずりにくくなります。
平気なフリをしなくっていいのだ。
まとめ
・人の機嫌は人のもの
・安心して感情を感じていい
という二つが腑に落ちたら、感情が揺れた時、上手に受け流せるようになるよ、というお話でした。



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