ここ最近、このアプリを使いながら青空文庫の作品を読むのにハマっています。
Yom!青空文庫
Yom!青空文庫
なぜ読むか、読んでどうか
先日、川端康成の「雪国」を買って読む機会があり、その描写の美しさに感動したんです。
日本語がきれいなんだ。
それから、先日久々に短編小説を書いてみて、さらにいい感じに表現を磨きたい、そのために、素敵な文章にもっと触れていたい!と思ったのです。

透過猫奇譚|影織
表玄関からにーにーと悲しげに鳴く声が聞こえてきて、あぁあいつまた透明になっちゃったのか、と腰を上げた。 我が家の猫は、時々透明度が変わる。なぜかはわからない。ふとした瞬間透明度100%になっていて、まったく見えなくなることもザラにある。 実は既に死んでいて、ゴーストになっているのでは?と不安になり、一度動物病院に連れて行ったことがある。が、精密検査を散々重ねた結果、獣医は「間違いなく元気に生きてますね...」と首をひねっていた。 不透明度が1%でも残っていれば、うまいこと玄関を開けられるのだが、透明度100%になってしまうとダメらしい。 透明なら、普通どこでも通り抜けられるものじゃ
ということで、青空文庫を気軽に読めるアプリをダウンロードしてみたのですね。
読みながら、最近の自分は文章そのものをじっくり味わうような読書をしていなかったな...と痛感しました。
ここ最近、学術書や新書などは読んでいたのですが、こうした読書って、文章から情報を抜きとって自分のものにするための読書であって、文体や言い回し、行間の空気感を味わうような読書ではないのですよね。
カクヨムなどで娯楽小説を読むことも時々あったのですが、それも、誰がどうして、何が起きてどうなったという非常にわかりやすいイベント情報を取り出して眺めるだけの読書であって、その文章そのものが醸し出す雰囲気や、言葉の流れの妙を楽しんでいるわけではありませんでした。
あぁ、そういった意味で私、ここ最近全然「読書」してなかったわ(愕然)。
青空文庫の作品たちも、最初はいつもの癖でぱーっと流し読みしかけて、全然文章が心に引っかからなくてこれじゃダメだ、と感じました。
そりゃそうでしょう。情報を抜き取るための普段のスピード感では早すぎて、文章のリズムを楽しめるわけない。
なので、意図的にゆっくりと文章を読むようにしています。
文学を読むというのは、ただ話の筋さえわかればいいというわけではないよな、と思います。
もしあらすじだけで名作を語るなら、たとえば「男がレモンで書店を爆破する妄想をする話」とか「不器用な生き方の大工が五重塔を作る話」とかなってしまうのですが、そういう情報として文章を理解して、読書したことになるかと言えば、そうではない気がするのです。
ストーリーを理解するために読むのでなくって、言葉の流れの美しさや、主人公の葛藤の移ろいや、細かい情景描写を味わう...文章の醸すリズムを味わうことが醍醐味なのだろうな。
まとめ
大変お恥ずかしながら懺悔すると、名作と呼ばれる文学作品って、そのほとんどが受験を乗り切るためのツールとしてしか触れてこなかったな…と思い至りました。
あらすじで読む名作文学みたいな本で、付け焼き刃な知識を身につけて、なんとなく知ったつもりで過ごしていて。
付け焼き刃的にストーリーを理解するのも、必要な情報を抜き出してくる読書も、もちろん大事になってくる瞬間はあるのですが、そればかりになってしまうと、本当に物語を楽しむ体験ってなかなかできないものです。
言葉そのものを味わう豊かな読書体験を、今後はもっと増やして行けたらいいなぁと思ったのでした。



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