嫌いな人がいる。
遠ざける前に、ちょっとだけ考えてみてほしい。
その嫌いな人は、未来の自分かもしれない。
本当は憧れて、いつかそうなりたくて、ずるいくらいに羨ましくて仕方ないのだけど、それを認めたくなくて遠ざけたいのかもしれない。
その嫌いな人は、過去の自分かもしれない。
過去に捨ててきたあの頃の、ダメでダサくてカッコ悪い自分を思い起こさせるから、見ていられなくって遠ざけたいのかもしれない。
その嫌いな人って、いわば自分の欠片なのかもしれない。
聖人君子になれとは言わないけれど。
もしもだよ。
その嫌いな人を肯定し、存在を認めて受け入れることができたとしたら?
それは、否定していた自分の欠片を肯定し、存在を認めて受け入れる、つまり自己受容や自己肯定に繋がるのではないだろうか。
聖人君子ではないから、私も正直、嫌いな人がいる。普通にいる。
けれど、すべての自分の周りに現れる存在には意味があると思うので。
ただ嫌って遠ざける前に、その人が見せてくれている一面が、何を映し出しているのか、考えて考えて、さらに考える。
その上で、その存在さえ飲み込んで受け入れ、人生の糧にできたら、と願う。
...まぁ、嫌いな人なんて、ぶっちゃけ受け入れたくないよね。
できる限り遠く、一生自分の目に触れないところで過ごしていただきたい。
けれど。そこに課題を見つけ、その存在に自分から近づいて、あまつさえ受け入れることさえできたとしたら?
怖いものなんて、なくなるのかもしれない。
嫌いな人って、自分を脅かすから嫌いなのだろう。
その存在がちらつくことで、自分の大事にしている価値観が危うくなりそうだから、それが怖くてなるべく遠ざけたいのだろう。
でも、それが脅威ではなく、ただ自分に手放すべき思い込みや考え方の癖を教えてくれているだけなのだと気づけたら?
嫌いな人が揺さぶりをかけてくる、自分の大事にしている価値観。自分を苦しめている原因が、嫌いな人にではなく、【実はそうして握りしめている価値観側にある】のだと気づけたら?
もはや嫌いな人は脅威ではなくなり、怖さも嫌悪感情も消えているだろう。



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