マルチ・ポテンシャライトとして生きていると、あれこれ興味が移り変わっていくので、人との関係の変化のペースが早い、という場合があります。

私自身、ここ10年くらいを振り返ると、転職や引っ越しなどを繰り返していることもあって、人間関係が定期的に総とっかえになっていました。



縁を繋ぐこと


自分の意思で選んだこととは言え、環境を変えるたびに、せっかく培った縁が砂の城みたいに崩れていくように思えて、こちらから手を伸ばして懸命に繋ぎ止めようとしていた時期もありました。

が、最近では、「繋ぎ続ける」ことへの執着が減ったように感じます。

と言うのも、どんなに繋ごうとしても繋ぎ止められない縁もあれば、そんなに繋ごうと必死に努力していないのに、なんとなく細く長く続いている縁もあるな、と気づいたからです。


縁って、どうやらコントロールできないものみたいだ


何か事件があったわけではないけれど、人となんとなく離れていくという瞬間を味わうたびに、惑星の軌道を思い浮かべます。

たまたま周期が重なった時に接近し、それが終わったら離れていく
それは悪いことでもなんでもなく、ごくごく自然な営みなのではないかな。

時々その人のことを思い出しては、元気にしていてほしいなぁと願うのも、星に思いを馳せる気持ちに近いかもしれません。



「また会える」関係を作るためにできること



自分から手を伸ばす

さて、縁を繋ぎ続けられるかどうかはコントロールできないとはいえ、「また会える」関係を作るために、自分からできることもあります。

・連絡を取ること。
・一緒に何かしようと誘ってみること。
・相手に興味を持って話を聞くこと。
・自分のことを素直に話してみること


めちゃくちゃシンプルではありますが、案外難しいと感じる瞬間もあるのではないでしょうか。

いきなり連絡したら迷惑かな。無視されたら悲しいな。
こっちから誘って断られるのは怖いから、相手から声かけてくれたらいいのに。
会話を保たせるために、なんでもいいから相手に質問しておかなきゃ。
自分のことを話すのは恥ずかしいし、相手もどうせ興味なんてないだろう。

こういうことばっかり考えて、シンプルなはずの行動のハードルを爆上げして、諦めてしまってることありませんか
...って言う私にも、こんな瞬間、腐るほどありますけどね。えぇ。


本来、もっと簡単なことのはず。
仲良くありたいと願い、こちらから手を伸ばして働きかける
それだけのこと。

でも、拒絶の恐怖が怖くて動けなかったり、謎のプライドが邪魔して素直な気持ちを伝えられなかったりする気持ちも、痛いほどわかります。


コントロールできることと、できないことを区別する

恐れで手を伸ばせない時、どうしたらいいのか?
コントロールできるものと、できないものを区別することです。


コントロールできるのは、自分主体の働きかけ。
コントロールできないのは、他人の反応や行動。

「今度の日曜日に遊ぼう」と連絡することはできる
でも、それを断られるのを回避するためのコントロールはできない
でも、断られたとしても「悲しい」と自分の素直な気持ちを伝えることはできる
でも、悲しいと伝えた後に、相手にその悲しさをどうにか補填してもらうことをコントロールすることはできない


コントロールできるはずのことをできないと諦めて、コントロールできないことをどうにか変えようと足掻くから、苦しくなるのです。

逆に言えば、コントロールできることと、できないことがしっかり見定められたら、その苦しみは少しずつ減っていくのです。



まとめ

人との縁について考えるたびに思い出すのが、槇原敬之の「お元気で!」 という曲。

行くと決めた道だから

一人でも行くつもりだった

だから君に出会えたことは

嬉しい出来事だった

丁度複雑に入り組んだ

高速道路のジャンクションさ

分かれ道までのカーブ

並んで走ったのが君で良かった


この部分を聞くたびに、いつもすごく切なくなっちゃう。けど、本当にこれだよな。

どこかで道が分かれる日が来るかもしれないけれど、それまでは、会いたいと願う人に、何度だって「また会おう」と手を伸ばしたい。


次回は「マルチ・ポテンシャライトのエネルギー論〜ギブ&テイクを考える」というタイトルでお話ししてみようと思います。