今回の記事、書くのにまぁまぁ勇気がいるのですが。頑張って書いていくね٩( 'ω' )و




今、いくつかのプロジェクトを並行で進めています。

・TUM-XRというXRの学生団体での活動
・チェコの大学の研究者の人と、アートとメンタルとARを組み合わせた研究プロジェクト
・過去の自分のAR作品の改良版開発

...が、これらは全て無償でやっています。

ではどう生活しているのか?
以前は業務委託での開発をして、定期収入を得ていたのですが、半年ほど前にそれをやめました。単発のARの開発プロジェクトを時々請け負ったり、コーチングをしたりしていますが、ここ半年ほど、基本的にはパートナーに支えてもらう+貯金、で生活を回しています。

今は言うなれば、人生の夏休みみたいな期間です。



「人生の夏休み」に至るまで



安定収入の入る仕事を辞める、と決めた時、死ぬほど怖かったです(ホント、毎日のように泣いてた)。

お金=自由の綱で、お金を家庭に入れること=自分の存在価値という思い込みが強く、無職になるくらいなら腹掻っ捌く、くらいの覚悟で生きていました。武士なもので...

パートナーには、仕事辞めても生活は回るから大丈夫だよ、と言われているにもかかわらず、無職な私=生きる価値なし、の気持ちが強すぎました。
いまもこうして文章を書きながら、"ちゃんとした"仕事をしていない自分に対し、恥じる気持ちがまったくないわけではないです。


そんな思い込みを持ちつつ、なぜそれでも仕事を辞めたのか?

生き延びるための戦略として、期待に応え続けるために我慢して頑張ってきた人生が、本当はずっと悲しくて辛かった。これからも続けるのはもう嫌だ
と、思い至ったからでした。

これまでの延長線上じゃない選択をしたい、積年の疲労が蓄積しているので少し休みたい、と思って、辞めることを決断したのです。



転職の儀

辞めると決めた後も、これは逃げか?甘えか?とずっと悩んでいたのですが、ある人から、こんなアドバイスをもらいました。




これまでは、「好きなまま過ごしてる時に、溢れ出る能力が仕事になる」という道を選ぶより、「悲しみを耐えた時間=お金や評価」という道を選んできた。
それは決して悪いことではなかった。なぜならそれが危険を遠ざけ、スキルや信頼度を高めて、自分を成長させてくれたので。

でも、マイナス地点(eg. 自分を削りながら必死で働き、成果を出して期待に応える状態)から経験を貯めて、効率的に仕事が出来るようになり、苦労が減ったとしても、それは順応して0に近づくだけ。0のラインを超えてプラスに至ることはない。

プラスに至るには、RPGでいうところの転職の儀が必要になってくる。
これまで培った手札の大半を捨て、「以前より自由&正直に過ごせるようになった自分の姿を売っていく職業」に乗り換えていく、ということがプラスに行くことなのではないか。

転職のたびに「我慢する技術たち」はどんどん引き継げなくなるが、「楽しんで生み出したものを発展させていく技術(経験)」は前職からどんどん引き継げる

仕事を辞めるという選択まで来たこと自体、既に楽しんで生み出したものが何かに繋がった経験をしてきた結果であり、完全なLv.1スタートではないから大丈夫。



ねぇ。すごくいい言葉だと思いませんか。

私はこの言葉に背中を押されて、まっさらな人生の夏休みを歩き始めたのです。



人生の夏休みの過ごし方


流れに任せる

何をするか、どうなるかもわからないままに夏休みに突入した中で出会ったのが、TUM-XRでした。

私は図書館大好き芸人なので、よく作業しに大学図書館に行くのですが、ある日ふらっとキャンパスを歩いていて、活動紹介のポスターを見つけたのです。

で、応募してメンバー入りが認められました。まぁぼく学生じゃないけど。

そもそもそれまでこの団体の存在すら知らなかったので、ここに入ると決めて仕事を辞めたわけではありませんでした。たまたま見つけて、ワクワクしたからここにきただけ。


自分で流れをコントロールできないのは不安かもしれませんが、「こうしておいたら良さそう」「これしておかなきゃいけないのでは?」みたいに、不安から逆算したものは一旦全無視でいきましょう。
代わりに、行き当たりばったり、やってくる流れに身を任せ、面白そうと感じるものに飛び込んでいきながら過ごしましょう。

だって夏休みなんだから!



逃げでなく、向き合うための夏休み

...と、書くとちょっと厳しそうに聞こえるかな。もう少し詳しく書いてみよう。

私が仕事をストップすると決めたのは、「期待に応え続けるために、身を削って頑張り続ける」という戦略を、もう手放したいと思ったからでした。

しかしいくら「夏休み」をゆっくりのんびり遊んで過ごしたとしても、もしそのままの私で仕事に戻ったなら、多分同じ戦略に逆戻りするはずです。

だから、夏休み中にこの部分と向き合って、自分をアップデートする必要がありました
つまり、「期待に応え続けるために、身を削って頑張り続ける」戦略以外の、別の選択肢を選べる自分になる必要があるというわけ。

これが、「逃げでなく、向き合うための夏休み」です。


私にとって、TUM-XRでの活動はまさに、この戦略と向き合うためのいい練習場になっています。

学生団体とはいえ、活動の実態は、まるで仕事の業務みたいな部分があります。
毎週ミーティングしたり、各所と連携してイベントに向けた調整をしたり、資料を作って共有したり。
給料をもらっていない活動であっても、ことあるごとに「期待に応え続けるために、身を削って頑張り続ける」の癖が如実に出て、苦しくなることに気づきました。

だからこそのいい練習場。
生活がかかった仕事ではないので、今までと違う戦略を試しやすいのです。


業務量的に無理がかかっている時に、誰かにお願いしてみたり、
気がかりな気持ちを一人で抱え込まずに、メンバーに相談してみたり、
やりたいことを見つけたら、これやろう〜!と遠慮なく出してみたり。

その一つ一つの選択を積み重ねることが、かなり自分の観念を書き換えてくれているように感じます


目先のお金だけではない豊かさを味わう

自分の活動が、金銭というわかりやすく目に見える形になっていないことに不安を感じることは多々あります。

でも、活動の中で得ているものが思った以上にたくさんある、とも感じています。


たとえば

・イベントを企画し、文化祭直前みたいな楽しく過ごす時間
・自分が興味のあることについて話せる友達
・自分でもこれ作ってみたい!という未来構想
・英語のコミュニケーション力
・自分を削らず、楽しみながら物事を進める力
・この「マルチ・ポテンシャライトの共創計画」のブログアイデア笑

など。


もちろん、長期的にお金になる可能性を秘めているという部分もありますが、それだけではない気がします。
誰かと一緒に楽しむ、この一瞬のきらきらした時間」という豊かさもまた、たくさん経験させてもらっているなぁと思うのです。

過去を振り返っても、小学校・中学校・大学の受験、卒論、就活、転職...と目まぐるしく過ごす中で、純粋に誰かと遊んで心から楽しむ、という時間をずっと置き去りにしてきた記憶があるのです。

あの時は感じられなかった、感じる余裕がなかったものたちを、今ゆっくり味わい直している感覚。本当に貴重な時間です。



まとめ

マルチ・ポテンシャライトとしての素質を活かしながら、もっと自由に、もっと正直に生きるために、しばし人生の夏休みを謳歌したいと思います。

さて、次回は「マルチ・ポテンシャライトのセルフケア」という観点でお話ししたいと思います。