手にしているものがとても貴重だと感じ過ぎると、手放すのが怖くなって執着になってしまうのではないかな、と気付いた話をします。

まず、「貴重」の概念を考えてみましょう。
例えば、水について考えてみます。
普段は何とも思わずに蛇口をひねって使う水は、砂漠に行けばとても貴重です。
水は、人が生きる上で必要不可欠なもので、かつ砂漠に行けばほとんどありません。
つまり、世の中にある大事なものの中でも、さらに「手に入る量が少ない」ものが貴重なものとなります。

貴重なものは手に入りにくいので、手放すのが怖くなります。
大事に使わないといけないと感じます。
一度得ても、次の機会にはもう二度と手に入らないのでは、と思うと恐怖を感じますし、手放すことが怖くなります。

自分の場合、時間やお金、そして愛情に対してそういう執着を抱きがちだなぁと思います。
ですが、この執着が強まると、だんだん苦しくなってくるんですよね。
自由な時間は貴重だから、休みの日は有意義に使わなきゃと焦りがつのって、今この時を全然楽しめないとか。
例えば、お金は貴重だから、貯金に回すためにあれもこれも欲しいものは全部我慢しようとか。
好きな人に優しく接してもらえるのは貴重だけど、いずれ愛情が得られなくなるのではないかと不安になって、相手の行動をコントロールしたくなる(相手の自由を尊重して手放すのが怖い)とか。

そういう時は、論理的に「ある」を見つけて洗い出していくと、気持ちが落ちつきます。
一週間のうち自由になる時間を算出してみたり、通帳を開いて残高を確認してみたり、
大事な人の日々の言動の端々に愛されている証拠をひとつずつ数えあげてみたり。
そうして「ある」に気付くと、少なく貴重で絶対に手放せない、と感じる執着心のぐるぐるから一歩抜け出せます。

また、執着してしまうのは、かつて貴重なものを失って大きく傷ついた、辛かった経験があり、その時の記憶が不安感をあおっているということも考えられます。
体感としては、子供の頃の記憶が引き金となっていることが多いと感じます。

子どもの頃に時間を忘れて思い切り遊ぶことができなくて、自由に遊べる友達に憧れていたとか。
お金の事で喧嘩する両親の姿を何度も見たとか。
親や信頼している友人に見捨てられてしまった、と感じた経験がまだ生々しく残っているとか。

思い出すのはちょっと辛いかもしれないのですが、それが原因だったんだな、と考えることで、何かに対して強い執着心が出て来て嫌な気持ちになった時に「あ、これは昔のこの記憶が原因で過剰反応しているんだな。けど今は昔と違うからそんなに強く心配しなくても、もう大丈夫」と立て直すことができますよ。