自分が本当にやりたいことがわからない時の考え方

今日は、この本を読んでいました。

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その中で、「『やりたいこと』を見つける近道」というパートが印象深かったのでご紹介しましょう。


やりたいことがわからない時の視点


やりたいことがわからない場合の考え方について、本書には以下のようにあります。
「やりたいこと」を探す人たちは、幸福感のようなものを求めて「本気になれるもの」を探しているのでしょう。しかし、くり返して言うように、人間の幸福とは自分だけのものではありません。他人が幸福になってこそ自分の幸福なのです。それなのに、「自分は何をやりたいんだろう?」と自分だけの世界で自問していては、本気になれるものが見つかるはずがないのです。(中略)「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう?」という視点で考えるのです。実は、それが「やりたいこと」を見つける近道なのです。(p.148-149, 太字引用者)
この考え方がすごく新鮮でした。

やりたいこと=自分だけの幸せを追求するもの、と考えている時、やっていることに対する幸せ感が少しでも薄れたり、違和感があったりすると「これ本当にやりたいことなんだろうか…?」と疑わしくなってきてしまったり、例えばおなかいっぱい食べること、眠ること、などの欲求を満たすことが第一の幸せだと考えてしまう時、「これがやりたいことだけど、これは仕事にならない…やりたいことを仕事にするってなんだ?何かに対して本気になるってなんだ?」というような悩みが増えたりしてしまうものです。

私は、これから個人事業主として仕事を始めようとして準備をしているのですが、やろうとしている仕事が切り絵と別の軸なので、「あれ、これは本当にやりたいことかな…?」と足が止まるような抵抗感を感じてしまったり、
一方で、切り絵を夢中でやりながら、「切り絵は楽しいけれど、自分が切っていて楽しいというだけで完結してしまっている部分があるな、安定した仕事にするというのは難しいのかな」とやっぱりもやもやしていました。

ですがそこに「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう?」という視点が欠けている、ということに気づきました。


自分を抑え込んできた人が、改めて誰かの幸せのために生きること

人の顔色を窺ってずっと好きなことを諦めてきた人、やりたくないことを我慢してきた人にとって、
「好きなことをしよう!」
「やりたいことを自由にやろう!」
というメッセージはすごく大事なことだと思います。
それによって、押し込められてきた自分の心の向かう方向、のびのびと自分らしく生きる方向を思い出すことができるからです。
一方で、そうして好きなことややりたいことに触れながら自分の解放が少しずつ進んできたら、今度はまた、そののびのびした自分がどうやって誰かを喜ばせるか?周りを幸せにするか?というところに戻ってくることが必要なのかもしれません。

抑え込まれていた分だけ、
「もう二度と自分の心は箱に閉じ込めさせないぞ」
「誰かのために気を使いながら自分を殺すくらいなら死んでやる」
という固い決意を心に秘めていたりするものです。
自分の場合はそういう思いがあったことで、「やりたい」と少しでもずれることをすることに対して、それによりまた心を殺さなくてはならないのではないか、という抵抗や恐れを感じていたんだな…と、書きながら今気付きました(大発見)。

ですが、「抵抗できなかったあの時」といまは違うんですよね。
誰かの言いなりになることと、誰かを喜ばせることがイコールではないんです。
自分を殺すことと、他人を幸福にすることは全く違うんです。
自分が我慢して他人のご機嫌を取るのではなく、自分も他人も一緒に幸せを分かち合う道があるのです。


まとめ

自分が好きなこと、誰かを喜ばせること。
両輪の上にある幸せを追求していけたらいいなと思います。