豊かさとは無駄であり、無駄とは豊かさであるというお話

優柔不断な買い物、この無駄な時間

先日買い物に行った時のお話。

バッグを買いに行ったのですが、形状で迷い、デザインで迷い、とにかく迷いまくっていました。優柔不断というやつです。
あまりに決めきれなくて、おなかが空いて昼ご飯休憩も挟んだくらい悩みました笑

注文したランチが来るのを待ちながら、
「あーあ、早く買わないと」
「うだうだ悩む時間が無駄だ、早く帰ってもっと生産的なことをしないと」
…などと焦る気持ちを感じていたんですね。
そこまで考えてふと、「なんでこんなに焦っているんだろう」と考えました。

豊かさとは

早く帰って生産的なことをする、というのは言い換えると、お金を生み出しうる活動(作品を作るとか、プログラミングするとか)をしようということです。

なぜ生産的なことをしようとしているかというと、お金が欲しいからです。
もっと言えば、お金でいろいろ好きな服やジュエリーを買ったり、おいしいものを食べたり、好きなように時間を使える豊かさが欲しい、ということです。

でも、よく考えてみてください。
洋服は究極的に、逮捕されない範囲で体を覆えたらいいわけです。飾りがなくても死にません。でも、かっこいいズボンもかわいいワンピースもおしゃれなコートもいっぱい欲しくなりますし、ジュエリーをいくつも身に着けたりしたくなりますよね。

食べ物は究極的に、栄養がとれる完全食のようなものを摂取していれば死なないわけです。でも、おいしいレストランに行ったり、居酒屋でお酒を飲んだり、コンビニでスイーツを買ったりしたくなりますよね。

人は究極的に、食べて寝て仕事をしてお金を稼いでいれば死なないわけです。でも、温泉でぼんやりしたり、旅に出たり、友達とカフェでまったりしたくなりますよね。

究極的に最低限を満たすというところからあふれているそれらは、なくてもいいもの=「無駄」とも言えるものです。

こう考えると、欲しいと願っている豊かさは、実は無駄だと思えるようなことと言えると気付きました。
豊かさ=無駄なんです。
ここに腹落ちして、衝撃を受けました。

最初に戻りましょう。
私は「早く帰って生産的なことをしないと」という焦っていました。
「お金を稼ぐ(豊かになる)ためにゆったりした買い物時間(無駄だと思えること)をできるだけ短縮したい」という願いはつまり、
「豊かになるために豊かさを短縮したい」とも
「無駄なことをするために無駄なことを短縮したい」とも言えるということです。
…おや、なんだねこの矛盾は!!!

そこに気づいたとき、「悩みながら買い物をして無駄な時間を過ごしている」と思っていた時間が、「悩みながら買い物できる豊かな時間」として、自分の中で意味が反転したのでした。


まとめ

無駄と豊かさはコインの表裏で、まったく同じものを違う角度から見たものだった。
だったら、無駄を嘆くのでなく、豊かさを喜ぼうと思ったのでした。