何か一つのゴールを目指して、ひたすら走る。

志望校に合格するとか、
いい会社に入るとか、
すごい賞を受賞するとか、
結婚するとか。

一つクリアしたら、次の新たな目標をまた掲げて、そこに向けて走る...ということを繰り返していくと、なんだか虚しい気持ちになることがあります。
「これ、いつまで続くんだろう?」と。


人生の「あがり」とは?

例えば、大金持ちになるとか、会社の社長になるとか、素敵なパートナーを得るとか、そういうハッキリ人に示せる「勝ち組」と言われるような成果をできる限りたくさん、それもなるべく若いうちに揃えることが、人生というゲームの「あがり」条件、だと昔は思っていました。
「あがり」になったら、仕事をセミリタイアして余生を悠々と暮らしていける、その後はずーっと幸せでいられる、みたいな笑

でも、人生における「あがり」なんて状態は実はないんですよね。
何を為そうと、何も為さなくとも、ある決められた終わりの日まで人生は続いていく。
例えばセミリタイアしたとしても、それまでと地続きの日常が淡々と連なっていく

ゲームの「あがり」みたいに、何かを達成できれば、いきなりこれまで続いていたゲーム=日常からパッと離れられるわけじゃないんです。
「あがり」があるとしたら、それは死んで肉体を離れる時と言えるでしょう。

そう考えると、「あがり」のための成果を集めて人生ひた走っているつもりでいても、実は目指している「あがり」そのものが空虚なものだ、と言えるかもしれません。


だったらどう考えたらいいのか?

自分で目標を掲げて、それに向けて努力する。
それを、人生の「あがり」を目指すためでなく、日常という人生の過程を楽しむためにやる、と決めるといいのではないかなと思います。

何も難しいことじゃなく、例えば、
「新しいゲームを作って大ヒットさせて、会社を興して社長になって、人生勝ち組を目指していくぞ!」じゃなく、
「新しいゲーム、だんだん実装できてきたぞ!たのしい〜」みたいに、作ることそのものを楽しむということです。

もちろん、前者を目指してガツガツしてもいいのですが、そうして突っ走ることに疲れや虚しさを感じるなら、目の前に淡々と続く日常を楽しめばいい、と思うのです。

その先で、望む未来が実現するのではないでしょうか。
未来は、日常が地続きになってできていくのですから。


まとめ

人生の「あがり」を目指すのでなく、日常というプロセスを楽しむ。
日常を楽しんで辿っていく先で、楽しい未来に到達できると思うのです。