自分の気持ちや感じ方は間違っているのでは、と悩んだ時の考え方

私は、特に不機嫌な時や調子の悪い時に、「なんで?」とか「どうしたの?」とか「何を考えているの?」と聞かれるのが苦手です。
暗に、そういう風に不機嫌でいることがダメだ、と言われるのではないかと恐れていたからです。



「その感じ方は間違っている」

むかし、自分の思っていることを述べると、その考え方や感じ方自体を思いっきり否定されるような出来事がたくさんありました。

小さい頃いじめられて、悲しくて泣いて帰ってくると、親に
「なんでそんな泣いてばっかりで、もっと怒らないの!言い返せばよかったのに!」と言われたり、
不遇な立場に置かれた主人公が、最後に忠義を貫いて死んでしまう映画を人と見にいった後、「この主人公、かわいそうだったなぁ」という感想を述べると、「かわいそうという感想は改めるべきだ。なぜなら...」と説教されることがあったり。



気持ちの読み取りと書き込み

ところで、突然エンジニア的なお話になるのですが、パーミッションというものをご存知でしょうか。パーミッションとはファイルやフォルダへのアクセス権のことで、読み取り・書き込み・実行の3種類あります。
例えば、不特定多数の人がアクセスするWebサーバ上で、大事な個人情報の入ったファイルが、誰でも読み取りや書き込みできるようになっていたらめちゃめちゃ危険ですよね。ですので、パーミッションというものをファイルやフォルダに設定しておき、決められた人しか操作できないようにする、ということが必要になるのです。

さて、話は戻って上の例で言うと、例えば
「いじめられて悲しい」と言う気持ちを、「怒り」で上書きすべきとか、
「かわいそう」と言う気持ちを別の感想で上書きすべきとか、
私の気持ちや感想を、違うもので書き込みするように強要されるタイミングがたくさんあったんだな、と気づいたのです。

だから、「どうしたの?」とか「何を考えているの?」と聞かれる時、私の気持ちを読み取り&書き込みされる、つまり「君はこう考えているよう(読み取り)だけど、そうではなくこう考えるべきだ(書き込み)」と言われるのではないか、と無意識にめちゃくちゃビビっていることに気づいたんですね。

でも、「なんで?」とか「どうしたの?」とか「何を考えているの?」と言う質問は、ただの読み取りだけの意味であることの方が普通なんですよね。



自分の心のフォルダを他人に書き込ませるな

以前は、自分の考えていることはすごく間違いだらけなのではないか、という気持ちがあって、誰かの「そんな風に思うのは間違っている」「こんな風に考えてはいけない」という言葉に、すごく窮屈な思いをしながら、間違った考え方をしてしまった自分を直そう、としていました。

でも、そんなことなかったんですよね。
何を考えたって、感じたって、いいんです
私は間違ったんじゃなくって、ただその人と違っただけ

自分の心のフォルダ、他人が書き込むのを許しちゃいけない。
読み取り専用にしておきましょう。



まとめ

エンジニアだからか、パーミッション設定の話は我ながらめちゃくちゃ納得できました笑

感じてはいけないこと、考えてはいけないことなんてありません。
他人の心を上書きしようとするハッカークソ野郎とは距離を置くのが大事ですね。