世界という盤上で、自分という手駒をどう動かす?

※ついアツくなって、エモさ溢れるタイトルになった。


昨日、ある人と話していて、
「今後の仕事の方向性を迷ってて...」
という悩みをポロッと漏らしたのですが、その時に、
「自分がこうなりたい、じゃなくて、自分という人間を使って何ができるか、なんのために生きて、どんな役割を担うか考えたらいいのでは
と言われてなるほどな、と思ったんですね。

その人はまた、「自分は仕事をしているけれど、仕事をしているという気分ではない。担うと決めた役割を、死ぬ日までにどこまで広げられるかを考えてやっているから」と言っていて、めちゃくちゃシビれるな...!と思ったのです。かっこいいよね。



なんだかうまく言えないのですが、その話をしていて「自分」と「自分という人間」はちょっと違うな、と思ったんですよね。
前者は、私が私が!という感じで、私自身満足だけを考える主観的な見方で、
後者は、自分のことを世界の中の手駒の一つと考える客観的な見方だ、と思ったのです。


これまで、仕事や活動の内容を考える時、どうしても前者の「自分」を中心に考えて、
「こういうのは楽しいな〜」
「でもこういうのはお金にならないかな〜」
「これは嫌〜い」
「じゃあどうしよ〜」
みたいな考え方をして、ぐるぐるしていました。
自分の快不快を中心軸として考えていたんですね。

しかし、後者の「自分という人間」というベクトルで考えると、なんだか一気に視点が広がったような気がしたのです。
世界という広い盤上のちっぽけな駒の自分にできることはなんだろう。
自分という駒の特徴はなんだろう。どうしたら、その役割を最大限活かせるだろう。
盤上をどんな風に動かして、どんな場面で役立てられるだろう。

そう捉えると、なんだかビジョンが見えてきそうだな、と感じたのでした。


まとめ

と言っても、「じゃあ私はこんな風に生きる!」と突然はっきりしたわけではなく、綺麗にまとまらないのですが笑、
この視点を持って、自分という人間がどうしたいのか、どうありたいのか考え続けよう、と決めたのでした。

自分という人間を、最高に使い果たしてから死にたい。