「間違えた」とめちゃくちゃ自分を責めてしまう思考の癖(中編)

・決まったルールや約束を破ってしまった時
・ 人の機嫌を損ねるような言動をしてしまった時
「自分は間違えた」とめちゃくちゃ責めてしまうことがあるのだ、と書きました。

今日はその「間違い」との向き合い方を考えてみましょう。


そもそも「間違い」は本当に「間違い」なのか?

改めて、上記2つの「間違い」について考えてみましょう。
前者は必ず決まった正解(ルール、約束)があるものなので、それを破ることは間違いだ、と言えるでしょう。
一方で、後者は必ずしも正解が一つとは限りません。

もしかしたら、全く同じ言動で喜ぶ人も、何も感じない人もいるかもしれませんからね。
そうすると、人の機嫌を損ねる言動が必ずしも間違いだ、とは言い切れないのでは、と思ったのですね。


と言うことで、上記の2つの間違いを改めて、
決まった正解となるルールや約束を破ってしまう「間違い」と、
それ以外の「間違いモドキ」

と名づけ直して、対処を考えてみましょうか。



「間違い」の対処法

まずは決まった正解となるルールや約束を破ってしまう「間違い」を防ぐ方法を考えましょう。


仕組みで解決する

昔いた職場で、「ミスをした時は『以後気をつけます』と言って努力で解決するのでなく、仕組みで解消するように」と何度も教えられました。


例えば、よく寝過ごして遅刻してしまう人がいるとしましょう。
その人が、毎日手動で目覚ましを合わせていたので、前日夜にセットをうっかり忘れた日に、寝過ごして遅刻していたのだ、とわかったとします。

そうしたら、「私はなんてうっかりなダメ人間だ...もっと気を付けて、毎晩セットするのを絶対に忘れないようにしよう...」と考えるのではなく、
平日の朝は自動でアラームが鳴るようにスマホをセットすれば、問題は解決します。


そんな風に、ミスをしたら、自分を責める代わりに「どんな仕組みを作れば、間違いがなくなるかな」と前向きに工夫すればいいんですね。


自分を責める痛みはいらない

自分を責める必要はないからといって、「私、この件、なーんも悪くありませんけど?」などと、まるっと開き直ろうという話ではありません。
誠意を持って謝罪したり、挽回したりする行動はもちろん大事です。


でも、自分をズタズタに責めて痛みの中に沈む必要はないんです(大発見)。
と書きながら、痛みがないと人に許してもらえないのだと思っていることにも気づきました。

これだけ痛みを感じて、反省しているから、許してもらえないでしょうか。
そんな気持ち。


でも、ですね。
痛みが大きいほどたくさん反省できているとも限らないし、
痛みが大きいほど、人に許してもらいやすいなんてことは、本当はないのです。

痛みも、反省も、許しも、全部独立した別のもの。
切り離して考えていいのですね(再びの大発見)。


過去の間違いを許す

ちなみにこの間違いを仕組みで解消しようとする方法、実は過去の失敗にも有効なんです。

私は、学生の頃にしてしまったある間違いで、人前でめちゃくちゃ怒鳴られた経験を結構長く引きずってしまっていました。

なんで、あんな間違いしちゃったんだろ。
もう少し、気を付けていたら、うまくやれたのに。


そのことを思い出して、ぺしょぺしょになっていた時にふと、
「その間違いは、どんなに必死に気を付けたところで、100%避けるのは不可能だった」
こういった仕組みをうまく作れば、100%避けることもできたんだ
と突然気づいたんですね。


その結果、その当時の間違ってしまった自分を優しく許せたのです。
自分だけの責任で起こしたことじゃなく、
間違いを避ける仕組みがなかったから起こってしまったんだな、と気づけたからですね。


まとめ

一旦長くなったので、今日はここまで。

決まった正解となるルールや約束を破ってしまう「間違い」は、仕組みで防げばよく、そこに過度な自己否定や自分責めはいらないと言うお話でした。

次回は「間違いモドキ」について考えていこうと思います。