なんかさ...いっぱい人間描く練習してるし、そのうちマンガとか描いてみたいよね...( 'ω')

けど、今のところ描きたいストーリーをふわーっとしか思いついてないんだな( ˘ω˘ )

そーだ!ChatGPTにアイデア投げてみるか!GPT-4o出たし!\( 'ω')/


ということで、ChatGPTの最新モデルを使って、ストーリーのアイデア出しの壁打ちを試していました。

GPT-4oモデル
ほほう面白そうだ


...しかし、世界観の詳細をそれぞれ質問しながら進めている中で、この壁打ち作業が思ったよりワクワクしないことに気づいたのです。




自分にとっての「創作」とは


GPT-4oモデルはめっちゃすごい。

質問の仕方によっては、自分の思いもよらない独創的なストーリーを出してくれますし、たくさんアイデアを出すように指示すれば、その通りいっぱいアイデアの種がもらえます。

でも、そのアイデアの種の中から、良さそうなものを選り分けて繋ぎ合わせていく作業って、自分にとっての「創作」ではない、と思ったのです


確かにAIのおかげで、整合性が取れていて、綺麗にまとまった作品を作ることはできるかもしれない。

けれど、ただ綺麗なものを作りたいってわけじゃないんだ

「ぐへへへ、このキャラに、このシチュエーションで、この瞬間、このセリフを言わせたいんだよな...」
「ここで一番伝えたいのはここ!この一言のセリフを聞かせるために、最っ高の舞台設定を用意してやるぜ!!!」
みたいな萌えとかフェチとか愛をぶち込むことが創作ってもんでしょう

たとえそれが、ちょっと歪で荒削りだったとしてもね。




AIとどう付き合っていくか


私はAIを自分の表現の一部として使うことは、どちらかといえば賛成の側の人間です。

実際、仕事でも個人制作でも開発にはめちゃくちゃ使っていますし、AIで生成した絵を使って歌ってみたを作るなど、作品に組み込んだこともあります。

また、作品のイメージが湧かない時に、何か面白いアイデアがないかな、とガチャを回す感覚で画像を生成して、そこからインスピレーションをもらうこともあります。


でも、AIを使う時に、自分にとっての創作の核や醍醐味となる部分まで委ねていないかどうか、という点は、常に自覚的であったほうがいいんじゃないかな、と思います。





あぁでもないこうでもないと試行錯誤して、ぴったりハマった瞬間の爽快感や、手間暇かけて自分の好きやこだわりを積み上げていく時間を、じっくり味わう。
このプロセスを楽しむのが、私にとって創作の醍醐味だと思います。

そのプロセスを飛び越えて、AIを使って整った成果物を作ることだけを求めると、この作業の何が楽しいんだっけ?という気持ちになってしまうように思うのです。

AIは、あくまで創作プロセスにブーストをかけるためのお助け機能として使わないと、つまんなくなっちゃう。
ちょうど、冒頭に書いた私の例のように。



まとめ

これからさらにAIの技術が加速していく中で、自分の表現の"上位互換"がバンバン生まれていくことでしょう。
そんな中で自分が作ることの意味、意義につまずくことが増えるかもしれません。


そんな時に立ち返るべきは、結局「これが最高なんじゃああ!」という自分なりの萌えとかフェチとか愛なのではないでしょうか。


このこだわりを自分なりのやり方で伝えるぞ、という思いありきで、AIを使うか使わないかを選択していけるとイイのかな、と思うのです。