理想や願望を持つのは素敵なことですが、執着しすぎて苦しくなってしまうことがあります。
たとえば、
・素敵なあの人と絶対にお付き合いしたい
・何がなんでもあのコンペで優勝したい
・この大学・会社になんとしても入りたい
などなど。
そういう時、どうしたらいいんだろう?
執着の話
執着している状態をたとえるなら、バイキング店に行ったのに、今は販売停止中のメニューを食べることにこだわって、他の料理が目に入らない...みたいな状態ではないかなと思うのです(伝わりにくい?笑)。
つまり、
これが手に入らなければ、自分は幸せになれない。
これ以外では、自分では満足できない。
と、心に決めてしまって、本当は周りにもっとたくさん豊かな選択肢があるのに、それが目に入らなくなって、幸せになれないでいる状態、と言えるのではないでしょうか。
では、執着を手放すにはどうしたらいいんだろう?
まず必要なのは、視野が狭まっていることに気づくことかも知れません。
このルートでしか幸せになれない、と思い込んでいるならば、叶えたいゴールへ至る他のルートを意識的に探してみることです。
あなたが真夏のバイキング店で、冬季限定ホワイトシチューを食べることに執着しているとしたら、それを通して得たいのはなんなのだろう。
「おいしい汁物を食べて満腹になりたい」というのがゴールだとしたら、それはホワイトシチューじゃなくても、叶うかも。
そうして、「向かいたいゴールに辿り着くために、今、必死でしがみついている選択肢にこだわらなくてもいいのか」と腹落ちすると、執着を手放しやすくなるのですね。
...って言っても、そんなこと思えるわけない!
どうしてもホワイトシチューじゃなくちゃ嫌だ!!!
と、じたばたすることもあります。
そんな時は、求めている事ものが手に入らないことを嘆き、一旦しっかり絶望することが必要なのかな、と思うのです。
確かに、頑張れば、我慢や忍耐すれば、努力を重ねれば、求めている"それ"はいつか手に入るのかもしれません。
一方で、手に入るかも、という希望があるからこそ...絶望し切っていないからこそ、苦しみが長引いてしまうとも言えます(逆説的ですが)。
理想に向かうことが幸福ならばいいのですが、それが苦しみになってしまう時、本末転倒なのではないでしょうか。
幸せになりたくって理想に向かっているはずなのに、苦しみを重ねて、幸せから遠ざかってしまっているから。
だから、諦めて絶望しよう。
絶望するとは?
欲しいものを手に入れようと画策する努力を一度全部止めて、執着する望みが叶わない今という現実を見つめるのです。
同時に、その努力を止める事で湧いてくる、悲しい・苦しい・悔しい...etc. のネガティブな感情にしっかり向き合うのです(おそらくその感情は、欲しいものを手に入れようとする過程で、必死に目を逸らしていたものでしょう)。
私もこうして、しかばねのようになって、メソメソしたり、ジタバタ転げ回ったりすることがたまにあります。
そのプロセスは、確かにまぁまぁ苦しい。
でもね、無理にポジティブに変換することなく、見たくない部分をしっかり見て絶望すると、最終的にホッとするのです。
絶望することで、思い通りにならないことへの抵抗から生まれる苦しみを、少しずつ手放していくことができるのですね。
まとめ
うーん、言語化難しかった。
執着することあるよね、人間だもの。
上手に向き合いながら、執着を手放していけるといいのかなと思います。
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