さびしさとの付き合い方



さびしいという気持ちはどこから生まれるんだろう?

一人だから、さびしいのか。
いやいや、誰かと一緒にいるのに、人混みの中にいるのに…物理的には一人じゃないのに、さびしいことってあるよね。



さびしいって、感じていることを、考えていることで蓋した時に湧き上がるんじゃないか?

例えば、
友達に会いたいなと感じた。
でも、いきなり連絡しても迷惑かもしれないしやめておこう...と考えて連絡せず蓋をした。

また例えば、
パートナーに、本当はもう少し家事を手伝ってもらえたらなと感じた。
けど、波風立てたくないなと考えて、伝えず蓋をした。


蓋して行き場のなくなった感情が、さびしさを生み出すのかもしれない。





さびしい時は、どうしたらいいんだろう?

何を考え、何に蓋をしたのかを見極めることが必要かもしれない。

蓋をしたものを見ないで、別のことで気を紛らせても、さびしさはずっと消えない

例えば最初の例で、
友達に連絡する代わりにスマホゲームをしても、
パートナーと家事分担の話し合いをする代わりにお出かけしても、
さびしさはなかなか消えない。

自分は友達に会いたかったんだ。
パートナーに言いたいことがあったんだ。
でも、蓋しちゃった。
と、気づくのがファーストステップ。




次にすべきは、必ずしも友達に会ったり、パートナーと話すこと...ではないかもしれない

さびしさって、外的に誰かから何かをしてもらうことで解決できるわけではない
いや、一時的には解決できるかもしれないけれど、根本解決にはならない
どういうことか?

友達が誘いに乗ってくれたり、パートナーがその夜お皿を洗ってくれたりしたら万々歳だけれど、もしそれが断られたら?
今回はうまくいって、友達と連絡できたり、家事をしてくれたとしても、またその後、同じような出来事にぶつかったら?
より、さびしい気持ちを深めてしまうかもしれない。

いくら外側の誰かが一時的に満たしてくれたとしても、心の穴から漏れ出して、「もっともっと」と、なかなか自分の中に貯まっていかないかもしれない。





根本的に見極めるべきは、なぜ蓋をしようとしたのか、と言う部分なんじゃないか。
「いきなり連絡しても迷惑かもしれないしやめておこう」と考えたのはなぜだろう。
「波風立てたくない」と考えたのはなぜだろう。

私は何を恐れて、感じたままに動くのを控えたんだろう?

そのブレーキが湧いた背景に、何があるだろう?



まとめ

さびしい気持ちが湧く時(実際はさびしいという気持ちに限らず、あらゆる感情について言えることではありますが)、目の前のさびしい出来事って、表面的な事象のことが多いです。

表面的とはつまり、その出来事に自分をさびしくさせる根本原因があるわけでなく、それはただの感情を湧き起こした触媒に過ぎないということ。

出来事をなんとかしようとするのでなく、その裏側で感情を引き起こしているメカニズムに目を向けると、上手にさびしさを乗り越えていけるのかなと思います。