展示会を開くとか、コンクールに応募してみるとか、短期的な目標を定めて先へ先へと進んできました。しかしコロナウイルスが流行って、いろいろな場面で立ち止まらざるを得なくなった中で、

必死に何かになることを求めて、いつになったら満足できるんだろう?終わりはあるんだろうか?
何にもしないで、今を生きるのも大事なのではないか。

などということを、最近よく考えたり、記事にまとめたりしています(例えばこの記事とか、この記事とか)。

そんな中で、しばらく立ち止まる時間を意識的に設けてみよう、と決めました。



立ち止まれないのは立ち止まらないから

ずっと、「いつも何かに追われていて、なかなか立ち止まれないなぁ」「何かと忙しくて、落ち着く暇ないなぁ」と考えていたのですが、別に誰かに脅されて立ち止まれないのではなく、自分で立ち止まらないことを選んでいるから、立ち止まれないんですよね。

予定をきゅうきゅうに詰めているのも自分。
新しいことにチャレンジしてみようと決めたのも自分。
全部、自分でやりたいと思って選んでいるから、忙しい。

だから、意識的にちゃんと立ち止まろう、と思ったのです。



立ち止まるとは?

何かを得るために頑張らない、したいからする

まず「何かになる/何かを得るために頑張って何かをする、というのを一時的にやめてみよう」と決めました。

例えば、「副業としてお金を得るために、頑張って新しいアプリを作ろう」「評価や感想を得るために、頑張ってSNSに作品を毎日投稿しよう」とか、そういうのをやめてみよう、ということです。

そうではなく「自分で遊んでみたいから、新しいアプリを作ろう」「楽しいから毎日作品を作って、自分の記録用にSNSに投稿しよう」みたいに、「自分がしたいから何かする」ことを愚直に追い求めてみようと思ったのです。


目標を定めない

また「いつまでに何をクリアする」という目標設定も、一旦止めてみることにしました。
展示会とか、アプリのリリースとか、この日までに!と決めると、そこまでにそれなりのものを仕上げるために頑張れてしまうのですが、一つクリアしてすぐに次!次!と目標を掲げていくことで、いつまでも止まれないのだ、と思いました。

だから今は、目の前にある興味の湧いたことだけしてみる。
飽きたら止める。
何かをクリアしようとしない。
そんな心構えでいこうと思います。


休むことを恐れない

以前に比べると、休むことに対する罪悪感がだいぶ減ったのですが、それでもやはり、ごろごろしたり、ぼんやりうだうだしたりしていると、
「前進しなくていいの?」
「置いてきぼりになってしまうよ」
「もっと進捗を生み出すべきだ」
...なんて声が頭の中で聞こえていました。

でも、ずーっと聞こえないふりをしていた「休みたい」を、もっと意識的に拾い上げていこうと思ったんですね。


外の情報でなく、自分の気持ちを丁寧に拾う

自分の外側にある情報を集めるのではなく、自分の内側にある心の声や気持ちをじっくり拾い上げる時間を大事にしようと思います。

最近、特にコロナ関連の情報をキャッチアップしておかないと!という気持ちで、SNSをこまめにチェックしたり、ニュースを読んだりしていたのですが、その頻度を抑えて、自分が今どう感じているか、何を思っているか、どうしていきたいかに耳を傾けたいです。



まとめ

立ち止まろうと決めたら、なんだかほっと落ち着きました。
しばらく立ち止まってみることで気づきがあったら、またブログにまとめてみたいと思います。