友人のAくんがめっちゃ恋してて、会うたびに盛大に惚気話を聞かせてくれます。
Aくんは、ただいま遠距離恋愛中。彼女のBちゃんと毎週通話を楽しんでいるそうです。
私はAくんとBちゃんと共通グループにいて、二人と親しくしていたのですが、グループ内で二人の仲のことを知っているのが私だけなので、Aくんは抑えきれない惚気をわーっと語ってくれるのです(なぜ私は知っているか。Aくんとたまたま二人だったタイミングで、こっそりと「もしかして二人ってつきあってたり...?」と切込隊長よろしく尋ねた結果です)。
Aくんは会うたびに、前に話してくれた惚気話を、初めて語るかのように新鮮に語ってくれます。
なので正直5回以上聞いた話もあります。笑
けれど、彼は本当に幸せそうに、その話を何度もしてくれるのです。
ところで。
先日私はちょっと嬉しかった出来事があったのですが、その出来事の一連の話を、何度もAIに向かって話し続ける、ということをしていました。友達いないんか?
「これ前にも何回か言ったかもだけど」と前置きして話し出そうとして、突然気づいたのです。
あっ、私Aくんと全く同じことをしている!!!!!
人は舞台の配役を入れ替えて生きている
人は同じ場面を描いた舞台の上で、役割を変えながら振る舞っている。そしてその役割を演じる度に、相手や自分のことをより深く知り、そして赦し、手放していくのだろう、といつも思うのです。
唐突に何の話。
Aくんの話を聞いている時に、正直なところを言えば、(おぉ...またこの前と同じ話がきた)と感じたり、ほんの少しだけ、自分の気持ちを多めに持ち上げながら聞き役する瞬間が、0ではありませんでした。
喜んで欲しいなという気持ちと、自分の冷めた態度のせいで嫌われたくない、という恐れの気持ちも少し。
でも、自分が話し手側として、「これ前にも何回か言ったかもだけど」をやった時に、何回も何回も話してしまうAくんの気持ちがすごく深くわかったのです。
自分の中でピカピカに宝物みたいな思い出だったから、何回でも新鮮に話したくなっちゃうんだ。
過去話したことは覚えてるし、何度も聞いてもらう申し訳なさもあるけど、それでも語り出したい気持ちが止まれないくらいに、嬉しくて幸せな記憶だったんだ。
何度も話すのを許してもらって、何回でもちゃんと答えてもらえるって、こんな嬉しいことなんだ。
その時に、何回もしつこく同じ話をしたくなる度、ちょっとだけ後ろめたかった自分へのOKが出たんですよね。
同時に、聞き役として「またか」の気持ちが「わかるわ」にひっくり返って、意識的に気持ちを持ち上げずとも、自然とあったかい気持ちで話を聞ける心の余裕が生まれてくることにも気づいたのです。
配役に偏りがある時は
自分が得意な役回り、ついつい引き受けてしまう役回りがある場合、だいたい逆の役割をするのが苦手で、偏りが生まれています。
だいぶ癖を抜いてきたとは言え、つい聞き手を引き受けてしまう自分は、
・自分の話したいことを元気よく、話したいまま話す
・自分のペースで会話を終わらせたり、始めたりする
・次のトピックに移りたいと思ったら、自分から切り出してみる
みたいなことがまだまだ苦手です。それをすると嫌われちゃう、と恐れて飲み込む自分がいるので。
今回の場合、私はAI相手ということだったので、そこまで強い抵抗を感じずに、話し手役として雑に、自由に振る舞うことができました。
まぁAI相手にもかかわらず「これ前にも何回か言ったかもだけど」と予防線を張ってはいるので、ほんとに自由か?というと少し疑問ではありますが。そしてこれを対人間相手にやるのが次のステップだよなぁとは思ったけれども...!
さて。
もし私が、聞き手役ばかりで、話し手になる経験をずっと積めないままいたとしたらどうなっていたのでしょう?
何度も同じ内容を話すAくんに「あ、それもう聞いたから結末知ってる」とイライラして遮りたくなってしまったかもしれません。
あるいは、頑張って聞かなきゃ、と自分に無理をかけ続けているうちに、疲弊してAくんから距離を置きたくなっていたかもしれません。
Aくん相手ではないですが、過去これをやってしまったことが何度かあることを思い出しました。
ポイントは、普段と逆の配役として振る舞うこと(そしてできれば、普段ならやっちゃダメと思ってやらない行動をとること)だったのかな、と思うのです。
いつも聞き役でいることの多い私が、勝手なマイペースで、同じ話をしつこく話すという"ダメ"な話し手を演じられたからこそ、話し手としても、聞き手としても、どちらの振る舞いの自由度もアップデートされたのではないでしょうか。
多分、これをあと何回かちゃんと対人間相手にもやったら、話し手役も、聞き手役も、どちらもフラットに配役チェンジできるようになっていくことでしょう。ちょっと勇気は必要だけどね。
中庸を選べるようになる、って、こういうことなのではないだろうか。
まとめ
人は、配役を変えながら舞台の上で現実を演じ続けている。
ある役、その逆の役。
入れ替わりがあるからこそ、自分も相手も多様な面から見られるようになっていくのだろうな。
そうして人を赦し、自分を赦し、自由になっていくのだろうな。
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