今月下旬、ガーナのウィネバ教育大学で、美術教育を学ぶ学生さん向けに、Zoomで講演とワークショップをすることになりました。
テーマは私のこれまでの創作についてです。
ようやくほぼスライドができたので、発表練習をしていたのですが、話しながら、何度かうおおおと感極まって、泣きそうになったのです。笑
母語ではない英語で話しながら、自分で自分の言葉に撃たれてわっと心が動く感覚は初めてだったので、驚きました。
この気持ちを記録しておきたいな、と思ったので、今日はそんなお話をします。
過去の自分が手を伸ばしてくれたから
創作の旅路を話すとはいえ、実はもう少し踏み込んで、人生観の話もかなりがっつりと盛り込んでお話しする予定です。
その中の一つで、最後の締めに「ないものは作ったらいい」というお話をする予定だったのですね。
私の創作のスタート地点は、小学生の頃、遊ぶ友達が全然いなかった故に、イマジナリーフレンド達と冒険に出る小説を書き始めたことでした。ノート何十冊にも渡って何年も何年も書き続けて、もう書かなくなった今でも、彼らはまだ私の頭の中に住んでいます。
これって、一見ネガティブなぼっちの黒歴史に聞こえるかもしれません。が、必ずしもそうではないのかな、と思ったのです。
もし、不足や欠けを、目の前の現実に不満を言うためのタネにしていたら、それはネガティブなままだったかもしれないのですが、「ないならこの手で生み出そう」というブースターとして使ってきたからこそ、自分の中でポジティブなものに変えられたのでは?と思うのです。
現実に友達がいなかったから、友達と遊べる空間を頭の中に作ろう。
空想が形になって現実に触れられるようになってほしかったから、ARで作品を作ろう。
生きづらさをどうにかしたかったから、現実との向き合い方を体系化して、ノート術を作ろう。
そうして生み出してきたものに支えられて、自分の人生が少しだけ上向きになった。
それをたくさん繰り返してきた。
「ない」と嘆く自分のために手を尽くし、満たす方法を編み出して、手を引いてくれた自分がいる。
欠けの悲しさを、悲しさのままで終わらせないための方法を模索してくれたから、その積み重ねで今ここにいられるのだ、と思ったのです。
諦めずにいてくれてありがとう。
まとめ
...書きながらやっぱりめちゃくちゃ感傷的になってしまった。笑
これまで一生懸命頑張ってきた自分のことを、誰より一番近くで見ていたからこそ、感謝と労いの気持ちと...いろんな気持ちが混ざってわっ!!と感極まっています。
ないものは生み出せる。
未来は作れる。
きれいごとや理想論に聞こえるかもしれないし、生存者バイアスもあるかもしれません。
それでも、自分の経験と、そこから見つけた考え方が、少しでも誰かの生き方のヒントになったらいいな、と願いながら、精一杯伝えてこようと思います。
頑張るぞい!٩( 'ω' )و

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