| どうしようかな〜 |
このARのアイデア出しをしながら考えたことについて、今日はお話したいと思います。
創作のモチベーションはどう湧く?
この切り絵のモチーフは、Sankofaというガーナのシンボルで、「未来に進むために、過去に戻って忘れたものを取り返す」という意味を表しています。すっごくいい言葉ですよね。私の心のお守りにしていきたい。
そこにARをつけようとしていたのですが、実は考えるのが気が重くて、切り絵完成後、しばし保留にして、すっかり放置していました。
そこにARをつけようとしていたのですが、実は考えるのが気が重くて、切り絵完成後、しばし保留にして、すっかり放置していました。
が、ここ数日急に、「あ、ARのアイデアを考えてみたいな」という気持ちが湧き、開発モチベ上がってきたのです。
なぜモチベが上がったのだろう?
もともと切り絵を作った段階では、せっかく作った切り絵だから、見せる形として一緒にARも作っておいた方がいいかな、私って、AR切り絵の人だし。という半ば義務感的なものを感じていたのですよね。
言い換えれば、創作動機がちょっと外に向いていた。
やりたいから、というより、やっておいた方がちょっとお得かな、みたいな感じで。
切り絵完成後に、このSankofaをテーマとしてプレゼンをすることがたまたま決まったので、さまざまな角度からこのシンボルと深く向き合って、解釈を深めて、自分の言葉に落とし込みました(このお話も、プレゼンが終わったら来週くらいにブログにします)。
発表準備を進めていく中で、自分が考えたことや気づいたことを、作品にARとして込めたい!という気持ちが湧いてきたのです。
ちゃんと、創作動機が内側から必然的に湧いてきて、私を突き動かした。
そこに愛はあるんか
過去の創作や開発を振り返ると、「これ作っておいたらウケるかもな」「人に見せられる形にしておけば、誰かと繋がれて、何かいいことがあるかもな」という感じで、「やっておいた方がいいかも」の気持ちに動かされている瞬間が少なくありませんでした。
振り返ってみると、その気持ちベースで動いている時、創作のプロセス自体は楽しいものではあったけれど、モチベーションにはちょっとだけ不純物が混じっていたように思います。
自分の表現したいことをただ表現していたいという衝動というよりは、表現を見せられる形にしておくことで棚ぼた的なラッキーチャンスを狙う邪な意図と義務感...?
そこに愛はあるんか???
もちろんラッキーチャンスがあったらそりゃ嬉しいですが、これを表現したいという衝動がすっぽ抜けてしまったら、いくら作っても魂こもったものは出来上がりませんし、それでラッキーチャンスを入手したとしても、結果的に虚しくなってしまうような気もするのです。
個人的によかったな、と思ったのが、いざSankofaのARを作ろうとした段階で、気持ちが乗らないから一旦保留にする、という選択をできたことでした。
頑張って形にしたら、公開できたかもしれない。
でも無理して形にしたら、後悔したかもしれない。
ということで、しばし作らず放置しておく、という選択を取れていたことがよかったな、と思うのです。
アイデアが自分の中で育って、「形にして」とこちらに呼びかけてくるまで、収穫せずに待つことができたから。
早く収穫物を手に入れたいと焦っていると、待つのが難しくなるんですよね。
熟すタイミングがまだなのに無理に収穫しようとしても、全然楽しくありません。私がARを作ろうとして、なんだか気が重くなってしまったように。
自分の中に湧くものを楽しく表現しきるためには、無理やり自分を引きずって動かすのではなく、形にしたいという欲の波に乗ることが大事だな、と思うのです。
できる限り、純粋な衝動を燃料にして創作していたいよな。
私の場合、気が進まなくっても、重くて動くのが辛い時でも、自分を奮い立たせて動かしてしまえる脳筋根性があって、それで結果を掴む、ということが得意でした。ただこれだと、ある程度の結果は出せたとしても、心がどんどん痩せ細っていくのですよね。
だからこそ、自分の内側から湧く衝動が、止まれと進めのどちらを指しているか、慎重に見極めることが必要なのだと感じています。とりあえずやれ!と蹴り飛ばして自分を動かすのは、悲しいからやめよう。
まとめ
自分の中で、本当にアイデアが熟して収穫を始められるタイミングかな。
無理やり引っこ抜いたり、焦ってかき集めようとしたりしていないかな。
自然と創作に向かえるタイミングの体感の見極めを、これからも大事にしていきたいな、と思うのです。
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