お気に入りだった傘をなくしてしまいました。
電車の中に置き忘れて、いろいろ手を尽くして探したのですが、見つからなかったんですね。
だいぶ落ち込んでセンチメンタルな気分なので、今日はこのことについて書いてみようと思います。

なくしものはなぜ悲しいか

別れが突然だから

処分するもの、捨てるものは、自分でタイミングを決めて手放すことができますが、ものをなくす時は、心の準備が全くできていない、思ってもみないタイミングでやってきます。

これまで自分のそばにあり、これからも自分のそばにあるだろう、と思っていたものが突然失われるというのは、不安な気持ちになります。
今当たり前のようにあるものは、明日にはなくなっているかもしれない。
今当たり前のように一緒に過ごしている人は、明日にはもういないかもしれない。

そんなことを悟ってしまうから、不安になるのかもしれません。

自分の一部を失うことで不安定になるから

昔どこかで「失恋が悲しいのは、ホメオスタシスが働くからだ」という記事を読みました。
ホメオスタシスとは、周囲の環境が変化しても、それを打ち消すよう体内で作用し、体の状態を一定に保とうとする生命の働きのことです。例えば、暑い時に汗をかいて体表の温度を下げるとか、体に菌やウイルスが入ってきたら、発熱してそれらを殺そうとするとか、私たちは意識せずともやっていますよね。

失恋することで、誰かの恋人である自分というアイデンティティが壊れたり、時間の過ごし方が変わったり、人間関係が変わったりするため、その変化を打ち消し、一定の状態に戻そうとして感情が揺れるのだ、とその記事には書いてあったように記憶しています。

この考え方は失恋に限らず、こうして大事なものをなくしてしまったり、壊してしまったりしてすごく落ち込んでしまう時にも使える考え方だなと思います。

今回の場合だと、「お気に入りの傘を持つ自分」から「お気に入りの傘を持たない自分」になった変化したことで生まれたギャップを、心が一生懸命埋めようとして、ぐらぐらゆらゆら感情が揺れているのだなと考えられる、ということです。

なくしものした時の心の鎮め方

では、こうして沈んだ気持ちになった時はどう考えたらよいのでしょう。

かたちあるものは必ず壊れると教えてくれた

かたちあるものは必ず壊れる。
小さいころ、ものを壊したりなくしたりしてしょんぼりしている時に、父親によく言われた言葉です。

上にも書いたことですが、今日存在しているひとやものが、明日も存在しているとは限らないと教えに来てくれたという考え方はいかがでしょうか。
大切なものほど、身近にあるほど、大事にすることを忘れがちですが、こういう日々の喪失の痛みの中で、目の前にあるものを大事にしようと思い直せるのかもしれないなぁと思います。


手を離れるタイミングだった

槇原敬之の曲の中で「おさらばだ」という曲があって、めちゃくちゃ好きなのですが、その中にこんな歌詞があります。
丁度複雑に入り組んだ高速道路のジャンクションさ
分かれ道までのカーブ並んで走ったのが君で良かった 
それは短い時間だったけれど
君がいないと寂しくなるよ
おそらく失恋の歌なのですが、この歌詞もまさに傘をなくした今の自分にぴったりでした笑

この曲を聴きながら、ちょうど、ジャンクションの分かれ道で、私の手を離れていくタイミングだったのかもしれないな、雨の日一緒に過ごせたのがこの傘でよかった、なんて思うとちょっぴり涙が出ます。


降りかかるべき厄を持って行ってくれた

大事にしているものには、その人の魂が小さく宿って、持ち主に危険が近づいた時には、その持ち物が身代わりになって厄を持ち去ってくれた。
…という考え方はいかがでしょうか。

特に傘というのは、雨から守ってくれる存在ですよね。
ですから、私を厄から守ってくれて、役目を果たして去っていったのだ、と考えたら少し納得いきますし、沈んだ気持ちの中にも、優しい感謝の気持ちが湧いてくるように感じます。

個人的には、この考え方が一番しっくりきました。

まとめ

「たかが傘一本でそんなに落ち込まなくても」「なくしたのは自分の落ち度だ」
そう考えてしまうと余計に落ち込むので、前向きになれるよう、今日の記事を書いてみました。
私の他に、何かをなくして悲しむ人にこの記事が届いたらいいなぁと思います。