先日、しばらく連絡していなかった友人と、オンラインでおしゃべりしたいな、と思いつきました。


その時に一瞬、

「SNSで見る限り、最近忙しそうにしてたし、迷惑かなぁ。やっぱり連絡するのやめようかな」

という考えが頭をよぎったんですね。


でも、もしタイミングがつかなかったり、あまり気が進まないとしたら、きっと断ってもらえるだろうな、と思い直して、連絡しました。

結果的に、無事に会う約束を取り付けることができたのでした。

よかった。


断るから、断ってもらえる

その時、

「逆の立場に立った時、自分が断る選択肢を持っているから、都合が悪いなら断ってもらえると相手を信じて、誘うことができたんだな」

と思ったのです。




本当は乗り気じゃないのに、誘われたからと無理やり参加することを続けていたら、

逆に自分が人を誘う時、相手もまた、嫌々参加しているのかもしれない、と疑います。


本当は疲れているのに、声をかけられたからと言って、我慢して人に合わせて行動していたら、

逆に自分が誰かに声をかける時、相手もまた、我慢を押し殺しているかもしれない、と考えてしまいます。




自分が我慢して断れないから、相手も我慢して断れないと思ってしまう。

自分が無理しているから、相手も無理していると思ってしまう。

真実は違う、かもしれないのに。


そんなわけで、自分が気持ちよく断ることで、相手もまた、気持ちよく断れると自然と信じられるようになるのかな、と思ったのでした。




まとめ

相手が無理したり、我慢したりしているのではないか...と不安になってしまう人は、

もしかしたら本当は、自分の方がたくさん無理したり、我慢したりしているのかもしれません。


自分の我慢を手放していけたら、世界はもっともっと優しくなるのかな、と考えたお話でした。

世界は自分の鏡なのかもしれないね( ˘ω˘ )