前回の記事の中で、「人は役割を変えながら振る舞う中で、自分のことも相手のことも多様な面から理解し、受け入れられるようになっていくのではないか」というお話をしました。

いつも気づいたら聞き役に回って、疲れてしまう時の考え方 | 影織文庫
人は配役を変えながら生きているというお話です。
これ、実はほぼ同じテーマで過去に記事を書いていた記憶があったので、掘り返して読み返してみたのです。その分析をしていて面白いことに気づいたので、今日はそんな話をします。
過去記事を読んでみよう
今読むと恥ずかしいので、あんまじっくり読まないで(๑´ฅωฅ๑)笑
これが一つ目。なんと2018年の記事です。
不機嫌になった時に急に黙り込んでしまう自分の癖が、母親とまったく同じ嫌な行動パターンだったと気づいて愕然とした話。

ひとはそれを受け入れるため配役を替えながら人生劇場に立つのだろうな | 影織文庫
記事内には書いていないのですが、実はこの時期にまぁまぁショックな事件があったのを思い出しました。
それでキーー!となって、相手のことをめちゃくちゃ責め散らかしたくなっていたのです。が、相手もまた、相手なりの正義をふりかざしてキーキーしてたんだよな...みたいなことを思い、遠い目をしながら書いた記事です。
過去記事を読んで気づいたこと
4年周期で人生の配役についての真理に行き当たってて、オリンピックみたいでウケる。そのたびに記事にしているのが影織らしくて面白いですね。
なにか気づきに至るたび、「これ過去にも学んだやつ」ということは思い出せるのですが、具体的にどんなエピソードから辿り着いたかは忘れていることが多いです。今回も、完全に忘れていて、読みながらすごく懐かしい気持ちになりました。
こうして読み返してエピソードを辿ると...思ったよりもだいぶトーンが暗い!笑
暗いと言うか、ネガティブなところから必死に、切実にもがきながら記事として刻みつけて残していたんだなぁ。
翻って、2026年の現在はどうでしょう。
同じ真理に至ったけれど、「友達がめっちゃ惚気話する」という日常の穏やかエピソードの中から辿り着いたのですよね。
今まで、何かに気づくということは、何か鋭い痛みや悩みがあって、それを乗り越える過程で、もがいて、苦しんで、ようやく掴み取る、というプロセスを辿ると思っていました。
実際、そうして書き残してきた記事が、影織文庫の蓄積としてたくさん残っています。
しかし今回のような、「穏やかな中で発見する」という新規ルートも開拓されていることに気づきました。
それも全て、自分がたくさん向き合ってきてくれたおかげで、人生の中に痛みが減ってきたからだと思います。過去の自分が必死に悩んだ記録を残していてくれたからこそ、今こうして分析もできていますしね。
視野が広がった分だけ、過去を振り返った時にちょっとイタかったり、不格好に見えたりする瞬間もたくさんあって、枕に顔を埋めてわーっと否定したくなる気持ちも少しだけ湧きます。
でも、私のブログは黒歴史の書ではなくって、必死に生きていたことの愛おしい証明だよな、と思います。
そうして今日まで繋ぎ続けてくれていたから、私は今ここにいられるのだから。
まとめ
2030年にはまた、この配役オリンピックで真理に至って、記事にして優勝するのかもしれません。
その頃の私は、何を見て、何を考えて、どんな結論に至るのでしょう。楽しみです。

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