むかしむかし私が小さい頃、母親が言っていた言葉が妙に印象深く残っています。
自分はちょっとでも気にくわないことがあると、すぐに人に文句を言い、喧嘩してしまう。その結果人と縁を切ってしまった事もある。後から考えるといい人だったのに、自分のせいで惜しい事をした、もっと我慢すればよかったかもしれない。
こんな内容だったかと思います。

その言葉が妙に自分にとって印象深く、どう考えても理不尽だな?辛いな?と思う目に遭っても、そのたびその言葉が蘇ってきて、
(自分の我慢が足りないのではないか…)
(そんなことで喧嘩して、縁が切れてしまったら後悔するかもしれない…)
と考えてしまいがちでした。
その結果、己の首を締めることもしばしばありました。

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ですが、最近、人間は大まかに2パターン、
我慢しなさすぎる人
我慢しすぎる人
がいるのではと思うようになりました。

・余計なひと言を言ってしまった後悔が多い 
・物事をはっきり言い過ぎて角が立った後悔が多い 
・人と過ごす中で、我を通すより、自分の言動を抑えることの方が勇気を必要とする
我慢しなさすぎるタイプ  


・言いたい事を言えず飲み込んだ後悔が多い 
・NOを言えなかった後悔が多い 
・人と過ごす中で、自分の言動を抑えるより、我を通すことの方が勇気を必要とする
我慢しすぎるタイプ
と分けられるでしょう。
 
どちらがいい悪いでなく、傾向として人はどちらかに偏っており、母親は恐らく前者に大きく偏りがあり、自分は後者に大きく偏りがあるのではないかと思うのです。

最初の話に戻ると、我慢しなさすぎる母親にとっての「すればよかった我慢」は恐らく、我慢しすぎる自分のような人間にとってはそう大した「我慢」とは感じない程度のことだったのでしょう。ですので、「もっと我慢すればよかった」という表面上の字面だけ受け取って、我慢しすぎる人が我慢生活を始めてしまうと、命を削るような己の追い詰め方をしてしまうのではないかと思います。

ちょっとくらい嫌なことがあっても我慢して物事に取り組むのが大事だ!という言葉を聞くことがありますが、それは我慢しなさすぎる人向けの言葉ではと思います。
自分は我慢しがちだな、という人はむしろ、もっと我慢しない勇気を持つのが大事なのかもしれません。