独特なマイルールを握りしめていたという話

実家にいた頃の夕飯の話。
夕飯は19時開始厳守、特別用事がない限り家族全員揃う決まりで、1分でも遅れると、母が不機嫌になっていくのを目の当たりにしていました。
いわく、19時ぴったりに、ごはんがほかほかの状態で完成するようにすべてが調整されているのに、遅れて帰ってくることで冷めてしまうことに我慢ならない、と。

また、実家にいた頃、夕飯で肉が出る日の話。
家で出される肉の量は基本的に一人約90gと決まっていると言われていました。
いわく、300g弱の肉を買ってきて、3人で割るから90gだと。

時が流れて、一人暮らしを始めても、そのルールをなんとなく普通に信じていました。
おなかがすいていても、おなかいっぱいでも、夕飯は19時に食べるもの(そもそも19時前に間食などでおなかがいっぱいの状態は言語道断)。
ご飯とおかずは同時に温かい状態で出さないといけない。
食べ始めの前に、ご飯またはおかずが冷めていてはならない。
ひとりで300gの肉を買っても、3食分以上に分けて食べきる。
うん。
だってそういうものだから。

さらに時が流れて、人と暮らすようになり、その窮屈さに改めて気づきました。
21時くらいにご飯を食べてもいい!
おかずを準備している間に、ご飯が冷めてもいい!
逆にご飯を炊いている間に、おかずが冷めてもいい!
お肉をおなかいっぱいになるまで食べてもいい!
…えっ、いいの?
どうやらいいらしい。


窮屈なマイルールは手放そう

我が家の夕飯ルールはちょっと特殊ケースだったかもしれません笑
が、人はそれぞれにマイルールを握りしめていて、勝手に窮屈になっていることがあるんだな…と最近気づいてきました。

窮屈と感じること。
例えば、もうちょっとお肉が食べたい、とか。
たとえ些細なことでも、それを我慢してなかったことにせず、なぜ窮屈と感じるか考えるのが大事だと思います。

そうすると、疑いもせずにお肉は90gと信じていることに気づけます。
…それ、本当に握りしめていたいルール?
本当に、握りしめていなくてはならないルール?
実は、そのルールを破ってみても、大変なことは起こらないかもしれません。

私の場合、例えばこの謎の肉遠慮ルールを破ることで、普段の夕飯時に、お肉をおなかいっぱい食べてもいいと発見できたのが、ここ最近発見した大きな幸せでした。


まとめ

窮屈なことを我慢しない。
なぜ窮屈か、なぜちょっと我慢しているのか、じっくり考えてみる。
見つけたルールをあえて破る。
そうすることで、自由になれるのかなと思います。