「仕事」を窮屈なものにしているのは自分だった、と気づいたお話

「自由に生きたい」と願っていろいろ行動した結果、場所を選ばずに働けるエンジニアになる、という形でいま叶っています。とってもありがたいことです。
それでも時々、仕事をしているときに、窮屈な思いを抱えて苦しくなってしまうことがある。何故だろう。
今日はそんなことを考えたお話。



仕事に対する観念の重苦しさ

何か仕事を任されたり、人にものを頼まれたりした時、「責任感を持ってやらなくては」と思います。
その責任感が、気づけば自分の中でとても重いものになっていて、
「自分のした仕事にミスがあったら、全身全霊を捧げて、自分を犠牲にしてでも対応しないといけない」
「責任をとることとは、命をかけること」
「失敗は切腹」
みたいな、極端な思考が入っていることに気づきました。
あの〜、その考え、ちょっと大袈裟では。

こういう思考がベースにあると、どんな種類の仕事をしていたとしても、
どんな形態(正社員、契約社員、業務委託、アルバイト...)で仕事をしていたとしても、
「私は仕事をする」と言った瞬間、「仕事と言ったら責任感、責任感と言ったら切腹(←マジカルバナナ風に)」...とつながってしまって、苦しくなってしまうんですよね。
つまり、こうした自分の思考の癖を変えることで、楽になるのではないか、と気づいたんです。



じゃあどう考えたらいいのか

どうしてこう極端な考えなのだろうと考えていたら、「命がけでやってみて、それでもどうしてもできないなら初めて赦される。できないと言うことは、甘えであり決して赦されない、できないなら死ぬくらいしか残されない」
...みたいな、恐ろしい考えを持っていることに気付きました。

「できるか、できないか」じゃない、「できるか、命がけでできるようになるか」だ。
Yesかはいか選べ、みたいな...笑

素直にできないことを認めると、見捨てられてしまう、切り捨てられてしまうと反射的に恐怖を感じるようです。
だから、なんとしてでもできるようになろう、と。

でも、落ち着いて周りを見ると、何かができなくて助けを求めたときに、手を差し伸べてくれた人がたくさんいたことに気付きます。
とすると本当は、敵は外ではなく内にいる、つまり、理想通りできない自分はいらない、認めたくない、と自分で自分を見捨てようとしていて、それが怖い、とも言えるのかもしれません。

それならば、自分の中にどんなにしょぼい部分やできない部分、がっかりな部分を見ても、自分のことを見捨てないと決めること、が大事なのではないかな、と思ったのでした。



まとめ

何か(今回の例では仕事)が嫌だな、辛いな、という思いが、外部要因ではなく自分の考え方に根ざしている、と気づくことで、その嫌な気分を捉え直すことができる、と言えるかと思います。

できないことと見捨てられることの関係については、まだしっかりした結論が出ていないです。うーん。
もう少し分析してみて、また気づいたことがあったら書きます。