オカルトホラーにのめり込んで現実逃避しようとしていたな、と気づいた日記

今日はちょっとした心の日記。


最近、オカルトホラー短編小説にハマっていました。
私は怖いもの全般、マジで死ぬほど苦手です。
ですが、なぜかその小説のシリーズにめちゃくちゃのめり込んで、ここ数日現実世界の現実感がふわっと薄れてしまうレベルでガッツリ読みふけっていました。

そのせいか、朝方、夢にその小説中のめちゃくちゃ怖いシーンが出てきたり、なんならその小説の続きを夢の中で勝手に作って体験したりして、だいぶ睡眠の質が下がって疲弊していました笑
など笑いながら書いていますが、恐怖の現実味が強過ぎて、自分でもちょっと引くレベルでした。

げっそりしながら、「なんでこんなに怖いの大っ嫌いなのに、スリルを求めてしまうんだろう?」とふと疑問に思ったんですね。


現実逃避したい

そう考えると、この強烈な恐怖の刺激は、現実から逃避する手段だったと気づいたんです。

何から逃避していたのでしょう?
何もなさない自分。
何者でもない事、何者かになるためのたゆみない努力を怠る事を、許してほしい。
掘り下げてみると、そんな気持ちでした。


この2020年下半期は、「等身大の自分でいる」がマイテーマになっています。

例えば、

・人の顔色を伺うのをやめて、自分の意見を言う
・人を喜ばせようと過剰に頑張らない
・成果を出すために自分を犠牲にしない
・気に入られるためにとりつくろわない
・自分の気持ちに素直に従う
・余白をつくる

でも、これ、やりながらすごく怖いことだったんですね。


理想を外れたら、空っぽな人間になってしまう。
等身大の自分なんか全然だめ。
何もできない自分を許してほしい。
何もできない自分を許さない。
存在を受け入れられるための努力が必要。


それと向き合う怖さを感じたくなくて、無意識に、創作世界の恐怖という強い刺激物で麻痺させていたんだな...と気付いたのでした。


まとめ

大テーマとの向き合い方は、まだ全然着地点が見えていません(ラスボスっぽい。強過ぎて涙目)。
が、スリルを使って感じたくない気持ちを隠そうとしている、と気づけたことで、とりあえず怖い小説は手放せそうです。