「私にしかできないことをしたい」「オリジナルでかけがえのない存在になりたい」という悩みに対する考え方

生きている上で、私にしかできないことをしたい。
仕事や対人関係の上で、「ぜひ君にいてほしい」と言われるような、かけがえのない存在になりたい(そう言われるような存在でないなら、自分が生きてここにいる意味がないのでは?)。
...以前よく、そんなことを考えていました。

でも「あなたという存在は世界にたった一人だけ、かけがえのない存在なのよ〜」みたいな薄っぺらい言葉では満足できない。
そんな考え方に対しての一つの答えについて、書いてみたいと思います。


何をするかのオリジナル性、どうあるかのオリジナル性

仕事上でリーダーや課長などの役職をもつ人は、いくらでも取り替えがきくけれど、その人の仕事の進め方や、コミュニケーションのとり方などは、その人からしか味わえません。

例えば、恋人や配偶者という役割に当たる人は、いくらでも取り替えがきくけれど(別れて選び直すことができるけれど)、その人と過ごした時間は、その人からしか味わえません。

役職や役割としてそれをする人の代わりはいくらでもいるけれど、それをする時のその人のあり方は、他の誰にも真似できません


私の場合、オリジナルになりたい、私にしかできないことをしたい、という思いは、役職や役割としてオリジナルになりたい、という思いが強かったんですね。
仕事の上でどんな特別な企画を思いついて実現できるか、
対人関係の上でどんな特別なことをして相手を喜ばせられるか。
いかにオリジナルなことをして、相手の注意をひけるか。

でも、そんなものを求めなくても、もうすでにオリジナルだったんです。
何かをするなら、その手法さえ知れば誰でも同じようにできる。
でも、それをするときのあり方(その時何を感じ、何を考えて行動するのか?どんな雰囲気を醸し出しているのか?自分の人生の中で積み上げた経験から滲み出るもの)は、真似できない。
あり方が違えば、表面上の行動が全く同じでも、その中身が違う。
だから、焦らなくたって、自分にしかできないことをもう既にしていたんです。


そして、役割として何をするかがオリジナルであることと、取り替えの効かないかけがえのない存在であること、これを一緒に考えているから難しかったんですね。

何か特別なことを「する」から、人に求められるわけではない。
何か特別なことを「する」から、かけがえのない存在というわけではない。

それをする時の自分の姿勢、雰囲気、人に与える印象...そういったものがもう既に、他の人と取り替えられないし、たった一つでかけがえなかったのです。


まとめ

今日の話は、自分でも言語化が少し難しかったです(特に、することと対比されている、「あり方」とは何か?という部分、もう少し掘り下げたいな)。


特別なことを「する」、その行動や行動の結果だけが、自分のオリジナリティを決めているわけではない、というお話でした。