過去の記憶をやさしく弔う

最近、これまでの過去を思い起こして整理するきっかけがありました。

色々掘り起こしてみると、
「そういえばアナタ、そんな大変な経験してきたわね...」
と言いたくなるような思い出がゴロゴロ出てきて、しばらくぼんやりしてしまいました。

今はのんびり楽しく生きているのですが、そこに至るまでに大変だったこと、悲しかったことが結構あったな、と気づいたんですね。

その中で、そうした記憶を「弔う」時間が大事だな、と思ったのです。


過去の記憶を弔うとは

弔う、という言葉には「人の死を悲しみいたんで、遺族におくやみを言う」という意味と、「死者の霊を慰めるために追善供養を営む」という意味があるそうです。
つまり、遺された者と、死んだ者、どちらも弔う必要があるわけです。

過去の辛い記憶を弔うというのも同じで、
遺された者=現在の自分と、死んだ者=過去の自分、どちらも慰める必要があるのかな、と思ったのです。

現在の自分は、過去の経験を引きずっていることがよくあります。
過去の嫌な経験が、現在の自分の考え方を狭めたり、行動を制限したりする時、
「それは当時の傷が今痛んでいるんだね、でも今は違う選択だってできるんだ」
「あの時の痛みが、まだ苦しいね。でももう今は大丈夫だよ」

と慰め、励ます必要があるのだと思います。

そして、現在の自分を慰めると同時に、あの時の自分を思い出しながら、
「あの頃はあれが精一杯だったよね、よく頑張ったね」
「あれは辛かったね、よく生き抜いたね」

と、いたわり、呼びかけることもまた必要なのだと思います。

その二つの弔いをすることで、過去は昇華されていくのではないでしょうか。

もし辛かった当時のことが昇華できていれば、生々しい痛みは伴わず、記憶がうすらぼんやりと褪せていくものです。
心残りやトラウマのような形では残らず、溶け去っていくんですね。


まとめ

過去の辛い記憶が不完全燃焼で残っていると、
何というか、死んでいるようで死んでいないゾンビのような状態で、
ぐるぐると心の中を彷徨い続けてしまうんですよね。

ゾンビを増やし続けないためにも、弔いの時間を取ることが大事だな、と思ったのでした。