人を喜ばせようとする時、考えたいこと

「仕事やビジネスを通じて人を喜ばせる」ということが、どうしても何かしっくりこない感じがあって、しばらく考えていました。

その中で、ふと、
人の感情はコントロールできないものなのに、それをコントロールして、喜ばせる事にばかり着目して苦しかったのかな
と思ったんですね。


もちろん、受け取ってくれる人が価値を感じ、満足できるよう最大限の努力はします

でも、与える側としては、相手が感じている喜びそのものというよりも、
相手に変化をどれくらい与えられたか見ることが大事なのでは
、と思ったのです。

そうして相手に変化を感じてもらえたら、その結果、それが満足や喜びにつながる、ということではないかと思ったんですね。



部屋の掃除のたとえ話

例えば、家族に頼まれて部屋の掃除をするとしましょう。

「掃除してあげたことに対して、家族がどれくらいいいリアクションをしてくれるか

をコントロールすることはできないけれど、

「掃除の結果、片付け前に比べて、部屋をどのくらいキレイにできるか

をコントロールすることはできる、と思ったのです。

掃除したことで、なんということでしょう...!という匠の技レベルでキレイになっていたら、
結果的に家族に喜んでもらえるかも、ということですね。


もし最初から、
「一体どうしたら喜んでもらえるかな...」
ばかり見つめすぎると、
何をしていいかわからなくなってしまったり、
空回ったりしてしまうでしょう。

あるいは、喜ばせられなかった時に、
「やっぱり自分のやっていることじゃダメなんだ...」
と落ち込んでしまうかもしれません。


ただし「喜んでもらえなくていいなら、相手の望みや意見を無視して好き勝手やろう」
というのは、また違います。

例えば、家族が大事に収集しているものをゴミとして捨ててしまったら、
どんなに部屋がキレイになったとしても、家族からしたら大迷惑ですよね。

ということで、冒頭の方で書いたように、
「受け取ってくれる人が価値を感じ、満足できるよう最大限の努力」をする必要はあるわけです。


その上で、相手が喜ぶことを狙い過ぎなくていいんだ、ということですね(ちょっとややこしいかな)。



喜びを最初から狙いにいかないということ

何かを与えることで、変化を起こして、
その結果おまけとして相手の喜びや満足感といった感情が動く。

本来おまけについてくるはずの喜びを、最初から狙い打ちでコントロールしに行こうとすると、喜んでもらえない時に苦しくなったり、イライラしてしまったりするのではないかな、と思います。

与える側にできるのは、与える変化を最大限にするように努めるだけであって、相手の喜び、感情を調整することはできないのではないか、と思うのです。



まとめ

今日の話は、微妙なニュアンスの話で、書いていて難しかったです。
うまく伝わったらいいなぁ。

「人を喜ばせたい」という気持ちはもちろん大事です。

でも、コントロールできない他人の感情をどうこうしようとすることを目的にするのでなく、

相手が価値を感じてくれるような変化を、どのように最大化できるか考えて、できることをするいいのかな、と思ったのでした。