人に迷惑をかけないよう頑張りすぎるのをやめる物語

昨日宣言した通り、今日は実験記事です。

いつもの心理のお話と、物語とが入り混じった世界観です。

あとまぁまぁ長文٩( 'ω' )و


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人に迷惑をかけないようにと、頑張りすぎることが私にはよくありました。


その心理をもう少し深く考えてみると、自分の気分や感情で人を振り回し、迷惑をかけるのが怖かったのだ、と気づいたんですね。


その裏側には、かつて、他人の(特に親の)気分や感情に振り回されて、理不尽で迷惑だった、と納得いかない思いをずっと抱えていたことがある、とわかったのです。


それゆえ、自分もあんな風に迷惑かけてはいけないと強く思っていたんですね。


そんなことをぐるぐる考えていた時、ふと次のようなメッセージが届いたのです。


「相手は、不機嫌な顔を見せることで君をコントロールしようとするし、
君は相手に合わせることで、相手の機嫌をコントロールしようとしている。

お互いに同じ土俵に乗っているんだ。

もう降りることだよ。
そこから降りたら、その駆け引きは無効になるからね」


そう考えると、自分もまた、コントロールを手放す必要があるのか。
それは怖いな、と思いました。

ある程度うまいこと行動することで、親の機嫌をとってきたのだから、
それを手放したら、制御不能になってしまうじゃないか、と。



「条件付きでここにいていいか疑わしくなったら、そのそもの前提を疑いなさい。

迷惑をかけるかかけないか、
君がここにいていいかどうか、
それは独立の事象で、
駆け引きの材料ではないよ」


なるほどなぁ。

けど、私は受け入れてもらいたいし、許されたいんだもんなぁ。

そのためには、迷惑をかけないで大人しくいい子でいないといけないと思う。


「君は、ここにいていいんだよ。
いていいから、ここにいるんだよ。

もう許されているよ。

君はね、他人のニーズを満たすために生きてるわけじゃない。

この旅路を、この航海を楽しむために生きているんだよ」



じゃあどうしたら、迷惑かけちゃいけないとか、
うまくやらなきゃとか、
そういう苦しさを手放せるかな。


「迷惑をかけられたけれど、
君が愛している人というのは、
たくさんいるだろう?

そういうことだよ」


「迷惑って、本当はいいものなんだよ。
手をかけるほど愛することだってある」


「あの時の君は子供だった。

本当は、君が迷惑をかける立場だったのに、
大人役、迷惑を聞いてあげる役どころばかり
回ってきてしまっていたんだよ。

迷惑かけるのも、かけられるのも、
嫌になってしまったよね。

君は背負いすぎてしまったんだ。
もういいよ。もう背負わなくていいよ」



このやりとりを通じて、ずっと痛みを抱えて、他人に迷惑をかけないように自分を見張っている存在に気づいたのです。

それは心臓に刺さった杭のようなものでした。

人に迷惑をかけてしまうたびに、
「迷惑かけるな」と言わんばかりに、
その杭が刺さった部分がぎりぎり痛むと気づいたんですね。


痛いから、やだな。もうこの杭はいらない。
とつぶやくと、


本当に、この杭抜いてしまっていい?
と聞かれました。


少し躊躇いもあったのですが、もう抜くタイミングだから抜こう、と決めたのです。
抜くタイミングが来たから、その存在にこうして気づいたのだ、と思ったので。




他人の機嫌がいいか見張るの、もうやめる。
自分にできることをする。

他人の機嫌は、他人に任せる。
私はそこまで責任取らない。


そう決めて口に出した時、その杭を抜くことができたんですね。

そして、さらに見てみたら、その杭も、自分を守るためにあったんだな、と改めて思えたのです。

杭を打ち込んで厳しく律することで、自分を別の痛み(外からの迷惑、理不尽)から守ろうとしていたんだな、と。


そう気づくと、その杭は、もう役目を果たしたからと、白い光の粒子に戻っていったのです。

それで、私はもう、人に迷惑をかけてしまうことを極度に恐れなくていいんだな、と思えたのでした。