ここ最近、自分の活動のモチベーションについて考えるタイミングが来ていました。

明日配信のメルマガでもそんな話を書いています。
めっちゃいいこと書いたので、ぜひお読みください。

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その中で、
あ、私ってアーティストだったわ
と思ったんですね(今更...!? 笑)。


もっと言うと、

自分の感覚やタイミングをめちゃくちゃ大事にしないと、スムーズに流れなくなる

「外的な動機付けでは動けない。自分の中から湧き上がるものに反してしまうと、テコでも動こうとしなくなる(無意識に)」

なぜなら、アーティストだから。


と、いい意味で諦めたというか、開き直ったんですね。


私は、自分がアーティスト気質だ、と認めることに抵抗がありました。


アーティストとは、感情や感覚のままに動いて、周囲の人間に迷惑をかけ、傷つけることを、何とも思わない人間だ。

むしろ奴らは、そんな風に人と合わせられないことをステータスとして、誇りにすら思っている。

と、毛嫌いしていたのです(キャー!笑)。


それは、
「感情や感覚のままに動いて、周囲の人間に迷惑をかける」ような人に、たくさん迷惑をかけられ、傷つけられてきたからこそ、
自分はそういう人が許せず、そういう人になりたくなかった
んだなぁ、と思ったのですね。


でも、よくよく考えてみると、

感情や感覚のままに動くことと、
周囲の人間に迷惑をかけ、傷つけることは別のことなんですよね。


自分の感情や感覚を大事にしながら、
他人を尊重することだってできる。


アーティストでありながら、
人と良いコミュニケーションを築いていくこともできる。



そう思えて、
自分の中のアーティストな部分、

自分の中から湧き上がる感覚、
動きたい、止まりたいというタイミング、
大きく波打つ感情、
自分や周囲の状態を繊細にキャッチする感受性、


そういうものがあることを許そう、

そういうものに従って行動することを許そう、と思えたのでした。



まとめ

私ってアーティストだったわ(これを読んでるあなたはもう、知ってたかもしれないけど笑)。

そんな自分を丸ごと許そう。