プロジェクトを進めていく中で、
「あーちょっとめんどくさいなぁ...」
ということは、しばしばあります。

が、
とっとと終わらせて早く楽になりたい...
追い詰められるような、嫌な感覚が出てきたら黄色信号。

ちょっと無理しすぎてませんか?
でも私自身、過去にこんな感じでプロジェクトに疲れ切ってしまうことがよくあったな、と思います。



プロジェクトが嫌になるタイミングとは?


しんどくなるのは、自分でプロジェクトをハンドリングできている、という感覚を失った時ではないでしょうか。


大変な作業でも、自分が好きで頑張りたいと思ってやっているのなら、健全に乗り越えていけます。
けれども「うまくやらなきゃいけない」「早く終わらせないといけない」など、「〜しないといけない」という義務感やプレッシャーに追われていると、苦しくなります。
また、人との共同プロジェクトだと、「頼まれたから片付けなきゃ」「言われたからやらなきゃ」というやらされ感に追い立てられて、げんなりしてしまうこともあります。


義務感ややらされ感で動いている時、自分で選んで行動している、ということを忘れがち。
ひどい時には、「なんで私ばっかり」「こんなに我慢してるのに」みたいな周囲への不満もじわじわ膨らんできてしまうんですよね。

待って待って待って。

楽しそうと思って、"自分で"選んで取り組み始めたはずだよね?
いつの間に、なんでこんなに苦しむ羽目に???
どうして、周りに不満さえ持つ羽目に???


この手の悩みは、マルチ・ポテンシャライトじゃなくてもまぁまぁ当てはまるかもしれません。

が、マルチ・ポテンシャライトは複数プロジェクトを同時に走らせていることで、疲弊しやすい傾向があるように感じます。

また、この疲弊と「飽き」を混同して、せっかくまだ興味のあることを手放してしまうこともあり得ます。それだともったいないよね。



「ねば」に追われるからくり


早く、うまく、正しく、完璧にやらねばならない。
「〜ねばならない」に囚われている時、大抵「"それ"ができていないと、人との繋がりが切れてしまう」という恐怖が隠れています。

この恐怖でいっぱいの時って、外側(周囲の人の反応や評価)ばかりに目が向いていて、自分がぽっかり不在になってしまうんですよね。プロジェクトの楽しさやワクワクなど、自分が感じていることが消えてしまうので、苦しいのです。

早く、うまく、正しく、完璧にできることだけが自分の価値であり、人と繋がるための通行手形のようなものだ、と強く思い込んでいるほど、この現象が起こります。


どうしたらいいか。
「"それ"ができていなくても、人との繋がりが保てていた」という成功体験を積むことです。

どうやって?
できていない自分のままで、人とコミュニケーションすることです。


どうにか帳尻を合わせてうまく見せようとするのではなくて、できないことをできないと伝えるとか。
わからないことを一人でなんとかしようとするのでなく、周りに聞いてみるとか。
さすがにこれくらいは自分でなんとかやらないと...と思うことでも、人に頼ってみるとか。

あ、ちなみにですね。
これくらいなら相手にも迷惑がかからないだろう、みたいな目測を立ててから、怖くない範囲で人に頼ったとしても、あんまり効果はありません。
こんなんダメだろ!と思う範囲まで、ちょっと勇気を出して頼ってみることが大事です。


総じて、能力を高めたり役に立とうとしたりするのを一旦やめて、できない自分のまま、その場にいて楽しむことを許す、と言えばいいのかな。

通行手形としての価値提供をしなくたって、ここにいていい。
それに気づけるようになると、「ねば」に追われることが減り、疲弊しにくくなっていくのかなと思うのです。


まとめ

これは私もいまだ修行中。
つい、「ねば」で自分を追い込んでしまいがちだから。

楽しく始めたこと、楽しんで進めたいよね。


次回は、マルチ・ポテンシャライトの「熱量」の波との付き合い方について考えてみたいと思います。