「これを読んだらあなたも救われると思う」

毒親について書かれたある本を読んだ、と母親から連絡がありました。

自分がそれを読んで救われたから、あなたも読んでほしい、という文脈で、冒頭の言葉をかけられ、なんだか考えさせられたので、今日はそんなお話をしてみたいと思います。


なぜ救われたかったのか

昔はもう少し、「救われたい」「報われたい」という気持ちが強かった気がします。

自分がどうしてこんな目に遭ってしまうんだろう。
こんなつらい目にあっているのだから、誰かに救われたい、と。


そんな思いでいっぱいになっていた時、自分では目の前のつらい状況を変えることができない、と考えていたなと思います。

それは、ちょっと強い言い方をすれば、人や環境が、私の思う通りに変わってほしいと考えていたとも言えるかもしれません。


嫌な気持ちを感じさせる出来事や人、環境に原因があると思うと、

「この出来事のせいで不幸だ(これが起こらなければよかったのに…)」
「あいつのせいで私は不愉快だ(あいつが変わってくれたらいいのに…)」
「こんな環境だから苦しいんだ(もっといい環境になってくれればなぁ…)」

と嘆くばかりで、余計に苦しくなっていってしまいます。
他人も過去も環境も、簡単には変えられないですからね。


だからこそ、自分の捉え方を変えていこう、というわけです。


捉え方を変えるとは

捉え方を変えるからと言って、

「嫌いなあいつを好きになろう!」
「過去の出来事を全部水に流そう!」
「つらい環境は根性で耐え抜こう!」

…と言っているわけではありません。


そうではなく、
この嫌な感情は、何を教えてくれているんだろう?
なんで、こんな感情になるんだろう?(昔、同じような嫌な思いをしたことはないかな)
…と、問いを立ててみるのです。


もちろん、辛くてしんどい最中にはそんな余裕ないでしょう。
泣きわめいて怒り狂って、感情を吐き出した後に少し落ち着いてからで良いので、自分に問いかけてみるのです。

この嫌な感情は、何を教えてくれているんだろう?
なんで、こんな感情になるんだろう?(昔、同じような嫌な思いをしたことはないかな)
と。


嫌な感情は目の前の人や出来事のせいじゃなくて

例えば、職場で誰かが怒鳴りつけられているのを隣で聞いていて、
胃が痛くなるほどつらい気持ちになる人がいれば、
うるせーなーとしか思わない人や、
怒られていい気味だとひそかに喜ぶ人もいたりするわけです。

自分が辛いと思っていることも、人によってはなんともなかったり、むしろ幸せだったりすることもあるんですね。


目の前の出来事や人はあくまで事象であって、それが引き金になって呼び起される感情は人それぞれというわけです。

そこで、
「この嫌な感情は、何を教えてくれているんだろう?」
「なんで、こんな感情になるんだろう?(昔、同じような嫌な思いをしたことはないかな)」
と自分に問うてみて、湧き上がるイヤな感情をひもといてみます。

そうすると、ほとんどがかつて(主に子供の頃、親に対して)感じた嫌な感情が、目の前の出来事や人から呼び起されていることに気づくことが多いです。


先の例の怒鳴り声がつらい人はもしかしたら、よくイライラしていた親に怒鳴りつけられていた経験を持っている、なんてことがあるかもしれません。

そんな風に分析すると、目の前の嫌な出来事が、あまり大きな問題ではなくなるんですね。

これは、かつてのこの経験とリンクして嫌な気分になるんだ、と少し離れたところから冷静に見られるようになるからです。

そして、自分で変えられるもの(自分の考え方や行動)と変えられないもの(他人・過去・環境)を分けて考えられるようになるからです。

そうするとシンプルに、変えられる部分は変えてみて、変えられないものは諦めて逃げるか降参するかしよう、と腹をくくりやすくもなります。


救われたい、という思いは、ある意味人任せです。
救ってくれる人に、手を差し伸べてほしいと。

でも捉え方を変えて、どうして目の前の事象にこんなつらい感情になるのか、と考え続けることで、理不尽や悲しみを自分でハンドリングできる部分が増えると思うのです。

「自分の捉え方次第」というと、冷たく厳しいようにも思えるかもしれませんが、そう考えることで、変えられないものを変えようと悩み苦しむ時間が減るのではないかなと思うのです。


まとめ

この嫌な感情は、何を教えてくれているんだろう?
なんで、こんな感情になるんだろう?(昔、同じような嫌な思いをしたことはないかな)

辛い時は、この問いを立てて自分と向き合いたいと思います。

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